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散歩道−52

〜 龍口寺の輪番八ケ寺巡りと、龍口寺の節分行事に参加する散歩道 〜

寂光山龍口寺の節分会


「鎌倉シニア通信」の編集子3人が、快晴の2月3日の朝10時に、湘南モノレール線(始発は神奈川県鎌倉市のJR大船駅に隣接した駅)の終点である「湘南江の島」駅に集合しました。
本日の散歩道は、午前中に龍口寺の輪番八ケ寺(*)を巡り、昼食後は、午後から行われる龍口寺の節分会の行事(「水行」と「節分法要・豆まき」)を見物するおよそ4kmの行程です。これらの詳細ルートは末尾のルート図を参照ください

駅名 モノレール
(注*) 龍口寺の輪番八ケ寺とは、1886(明治19)年まで藤沢市の片瀬にある「寂光山龍口寺」は住職を有しなかった故に、それまでは近隣(片瀬・津・腰越)に存在する”龍口山”を山号とする八つの寺々が輪番で龍口寺を守ってきたということです。

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駅を出るとすぐに石材店と花屋さんがありました。この付近には寺が多く、お墓も多い寺がありますので、当然でしょう。先ずは駅から200mほどの距離にある@龍口山「常立寺」(じょうりゅうじ)です。山門内に一対の大銀杏が剪定されていました。鐘撞堂も、年経た百日紅もありました。墓参に使う桶などを収納する立派な小屋があるのには感心させられました。白梅が1、2分、紅梅が3、4分 咲いていました。赤い帽子とよだれ掛けの六地蔵がありましたが、これは、ここで処刑された元使の霊を慰 めるために立てられたものでしょうか。大きな「誰姿森元使塚」が建ってます。モンゴル出身の力士もお 参りしていると読んだこともあります。墓地を一回りしましたが、かなり広い墓地です。地元の人の墓地でしょう。同じ姓の墓が散見されます。

本堂 六地蔵 元使塚

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次は常立寺から200mほどの距離にあるA龍口山「本蓮寺」(ほんれんじ)です。脇道から入ったら、正面に白壁土塀の下に小さな灯籠が置かれた家。右に曲がると本蓮寺でした。銀杏に 紅白の梅は、常立寺と同じです。蝋梅が満開でした。よく手入れの行き届いた境内がある立派なお寺と見まし た。山門は閉ざされていましたが、石畳の通路から庭へは入れないように竹で遮蔽され、石畳の両側はプ ラ竹の灯りが並んでいます。入口に出たら、何代目かの小さな「西行法師戻り松」がありました。

本堂入り口 本堂 蝋梅

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次は本蓮寺からは1kmほどありますがB龍口山「法源寺」(ほうげんじ)です。本蓮寺からは、湘南モノレールの目白山下駅に行き、その下の道路を横切ると、右手に腰越小学校のプールがあり、 左側には壁しか見えないが腰越小学校があります。その先を右折して、右手の坂を上ると、通称の「ぼたもち寺」として親しまれている 法源寺です。刑場に向かう日蓮上人に、近くで茶店を営む老婆がおにぎり(落ちて砂にまみれてボタモチ? になったとか)を差出し与えたという伝説のあるお寺さんです。庫裏の玄関先に線香が売られていました。

正門碑 本堂 本堂

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次は法源寺からは1kmほどありますがC龍口山「本龍寺」(ほんりゅうじ)です。江ノ電の電車道に出て龍口寺と反対方向の腰越の方に行きました。腰越駅の手前の神戸橋の手前を左折すると、日蓮宗の本行寺がありますが、ここは輪番寺ではありません。その先のバス停を右折して、本龍寺橋を渡り、 右の道を行くと、左手に本龍寺がありました。庫裏が本堂手前にありました。本堂の龍の彫物は眼が金色 をしています。境内の小さな柱にも小動物の彫物が付いてました。そして、クリスマスローズの鉢がずらりと並べられ、種名が書かれた札がついてます。さらに奥へ進んだら、種が植えられているのでしょうか、 小さな鉢が百個以上も整然と置かれていました。よほど、この花に魅せられているのでしょう。

本堂 本堂 本堂

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次は本龍寺からは100mほどですがD龍口山「勧行寺」(かんぎょうじ)です。寺の名を建物の看板や碑に記載されていないか探しましたが見当たりません。しかし、地図から判断しても勧行寺で間違いないでしょう。境内に菩薩像がありました。

本堂 菩薩像

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次は勧行寺からは100mほどですがE龍口山「妙典寺」(みょうてんじ)です。大黒天の幟が立ってます。

正門 本堂

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次は妙典寺からは100mほどですがF龍口山「東漸寺」(とうぜんじ)です。奥の高い所に墓地が見えました。丁度、通りかかった郵便配達員に聞いたら、これより奥には八ケ寺はないとのことなので、来た道を戻りました。

本堂 本堂

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東漸寺からは200mほどですがG龍口山「本成寺」(ほんじょうじ)です。本成寺は江ノ電の踏切手前の引っ込んだ所にありました。本堂前と横に黒松がありました。中年の男が一人、線香を上げていました。

正門 本堂

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以上で駆け足ながら龍口寺の輪番八ケ寺を巡りました。これらはこじんまりとしながらも、歴史を感じさせる立派な寺々に見え、龍口寺を支える重要な役割を担っていたものと思われます。

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次は江ノ電の電車道に出て龍口寺に向かい、そこの節分会を見ることになりましたが、丁度12時になったので、この電車道の龍口寺までの途中にある「しら川」という旬魚采を提供する食堂に入り昼食としました。この時期(1月1日〜3月10)はシラスは禁漁中とかで生しらすは食べられませんでしたが、小鰯を酢でしめたつまみでビールと、釜揚げしらす、”すずき”と”いとよりだい”の刺身を載せた海鮮丼を美味しく戴きました。

小鰯 海鮮丼

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龍口寺の節分会の案内は、片瀬地区内に張られたポスターや龍口寺境内入り口に掲げられた看板にありました。

看板 ポスター

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いよいよ寂光山龍口寺に到着しました。 龍口寺は、今まで巡ってきたこじんまりした八つの輪番寺と比べれば、まさに威風堂々の大きなお寺でした。

碑 入り口 山門

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龍口寺本堂前の境内には、見物の善男善女が三々五々集まってきます。意外にも幼稚園児も大勢で来ていました。それで周りにいる総見物人はおよそ200人くらいでしょうか。水がかからぬように、カメラにポリ袋を掛けている人もいました。
本堂前には大きな樽が5つ、置かれています。樽には、「水行肝文」とか「蓮華在水如」と書かれています。今年は一般人の4人による水行と、寺の修法師(僧侶)5人による水行の計2回行われるとのことでした。
午後1時になると太鼓が鳴らされ、先導の白衣の修法師と一般の男女各2名の計5名が白衣姿でお経を唱えながら現れました。一行の男子のみは褌(ふんどし)だけになり、「南無妙法蓮華経」を唱えながら、男女共に桶の水を後頭部に掛け始めました。20回も掛けたでしょうか。終わると、乾いた白衣を着て、お経を唱えながら一回りして本堂に戻りました。
樽に水を追加して、次の修法師5人による水行は1時20分過ぎから、1回目と同様な作法で行われました。さすがに日頃の鍛錬のたまものでしょうか、修法師の水行は先の一般人の水行と比べれば、はるかにダイナミックな水行でした。
以上の2回の水行が無事に終わって、見物の皆さんから感動の拍手が沸き起こりました。

境内 一般 一般 修法師 修法師 修法師

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水行は1時半ごろに終わり、節分法要とその後の豆まきは午後2時から本堂内で行われる予定でした。それを待つ間に境内でおしるこの接待があったり、鐘楼で鐘を撞かせてもらったりして節分法要と豆まきの開始を待ちました。
節分法要の開始に先立ち、本堂内には裃姿の歳男、歳女(必ずしもそうでなくてもいいようです)が20人近く着席していました。2時になると、貫首と水行した数人の修法師らの読経が始まりました。読経時間は比較的長く、30分ほどあったようです。
この後に歳男、歳女、貫首と修法師による豆まきが始まりました。
豆は10-20粒くらいがビニール袋に入ったものが、飴やおかきなどと一緒に撒かれましたが、飛んでくる豆を掴むのは難しいものです。床に落ちた豆袋を拾うのが正解だと気がついたのは、もう豆まきの終わりに近いころでした。
龍口寺の豆まきでは、多数の豆袋の一部に賞品の当たり紙が入っているものがあって、それを掴んで賞品をゲットできた運の良い人もいました。我々編集子の中では、コーヒーカップを当てた人がいました。
午後3時前にモノレールの「湘南江ノ島駅」に戻りそこで解散して各々の帰途に着きました。

(注)龍口寺本堂内は撮影禁止とのことで、法要や豆まきの様子は撮影できませんでした。

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今回の散歩道のルートは、右の地図(ヤフー提供のソフト”ルートラボ”で作成)に示すように、スタート「湘南江ノ島駅」〜「龍口寺輪番八ケ寺」〜「龍口寺」〜帰着「湘南江ノ島駅」となります。

修法師

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撮影・制作:亜郁/りんでん/こうなん


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