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鎌倉の散歩道−46
鎌倉の赤丸ポストを訪ね、風景印を押すミニ旅(2)

十二所から雪の下へ



夏の暑い日ざしを避けて延ばしていた「散歩道」を再開します。

(十二所)
(石仏)
十二所
石仏

 鎌倉駅東口の京浜急行バス太刀洗方面行きのバスで20分、十二所(じゅうにそう)に着きました。下車すると、 前方に最初のポストが見えました。公衆電話ボックスと並んでいます。背後は滑川。5m 以上の深いところをきれいな水が流れていて、ススキの穂が揺れてます。左手には光触 寺への道が分岐しています。

 この後、金沢街道はこの川に沿ったり、少し離れたりを繰 り返します。十二所とは、天神7柱、地神7柱を祀ってあるので、明治の神仏分離以後、 改名されたと、「かまくら子ども風土記」にあります。

 ハイランド入口の広い四つ角を過ぎると、大小様々の石造や墓標、五輪塔、無逢塔が 20以上も置かれているところがありました。

   2つ目は泉水橋を渡った先の信号下にありました。その前の小さな魚屋さんには、カマ スなどが干してありました。

(足利公方邸旧跡)
(浄明寺郵便局)
足利公方邸旧跡
浄明寺郵便局

 その先、「足利公方邸旧蹟」碑が建ってます。大正時代に鎌倉町青年会が建てた史跡 碑が市内に80箇所近くありますが、立派な事業だと、筆者らは感じ入った次第。左手の 丘の斜面には手づくりの大きな庭を持つ大きな家が見えます。  3つ目は青砥橋の先に、電柱に隠れるようにありました。浄妙寺を過ぎた先に、浄明寺 郵便局がありました。風景として、竹の寺として知られる報国寺が採られていました。 お寺の名と町名は1字違ってます。戸塚には、蔵田寺が倉田町にあります。筆者は、あと 4つのコレクションがあります。

(浄明寺郵便局の風景印)

浄明寺郵便局の風景印


 「茶道宗偏(正しくは行人偏)流止観亭」の看板が、竹を縦に並べた門塀の建物があり、奥には茅葺きの建 物もありました。その隣は造園屋さん。石塔や灯篭、韓国か中国の人物石像などが多数、置かれていました。

(茶道宗偏流止観亭)
(造園屋)
茶道宗偏流止観亭
造園屋


杉本観音の石段を右に見て進むと、左手に青少年会館などの「フレンドリー鎌倉」の建物があり、その前に20人ぐらいのアメリカ人でしょうか、たむろしていました。この日は肌寒いくらいでしたが、半そでの少女もいました。元気なもんです。  右にドームの建物などが見える、鎌倉女子大二階堂キャンパス。筆者は、この大学の大船キャンパスで開かれた「漢詩へのいざない」を最近、聴講しています。

(鎌倉女子大二階堂学舎)
(大御堂橋)
鎌倉女子大二階堂学舎
大御堂橋



 4つ目は、荏柄天神への長い参道のすぐ先の大御堂橋信号を左折した橋のたもとに建っ ていました。橋の下には大きな真鯉や緋鯉が群れてます。  岐れ道で「お宮通り」に入り、鎌倉宮に向かいます。途中、不動産屋さんの前に、小 さな、玩具としては大きい赤ポストが置かれていて、チェーンで囲まれていました。

(鎌倉宮)
(鎌倉宮前)
鎌倉宮
鎌倉宮前


 5つ目は鎌倉宮の鳥居の左手に、公衆電話ボックスと並んでありました。その手前に建っ ていた「官幣中社鎌倉宮」の上の4文字がモルタルで埋められていました。  6つ目は、清泉小学校近くの四つ角近く、小さなお店の前に、「大蔵幕府旧蹟」碑に対 峙するように建っていました。

 八幡様の流鏑馬道に入ると、ミニ庭園が展示されていました。市内の造園家が数軒、 造ったようです。源平池の蓮は枯れています。和服姿の女性が多いなと思ったら、「裏 千家献茶式」の看板が二の鳥居に立っていました。

(鶴岡八幡宮)
(邦栄堂書店前)
鶴岡八幡宮
邦栄堂書店前


 若宮大路の邦栄堂書店(以前は、駅近くにあったような)前に、今日最後の7つ目のポ ストがありました。その先、段葛を隔てた反対側に雪ノ下郵便局があります。鶴岡八幡 宮が描かれています。  歩き始めてから2時間掛かっていませんでした。

(雪ノ下郵便局の風景印)

雪ノ下郵便局の風景印





「付記」

2011年10月15日の朝日新聞「DO 科学」に「今年は日本で郵便制度が始まって140年。ポストのことを勉強しましょうか」と「ポスト史」が書いてありました。それによると、

1. 初めのポストは台の上に置かれた木箱で、すぐ杉板の長い黒い箱になった。

2. しかし、壊れやすかったり火が付けられたりしたようで、1901年に丸いポストが考え出された。型に鉄を流し込む鋳物だったから、丈夫で燃えることもなかった。 目立つように赤くしたのも、この時かららしい。

3. 鉄製の丸いポストは太平洋戦争の前にはずっと作られていたが、戦争中に供出されてなくなってしまった。

4. 戦後、丈夫なポストが求められて、49年から新しい丸いポストの製造が始まり、70年まで作られていた。

5. 四角いポストは、丸いポストの登場から2年後には生まれ、70年には新デザインのものも出た。そのころから急速に置き換わったようだ。四角いポストは薄い鉄板を曲げて組み立てるので、鋳物の丸いポストより、安く効率的に作られるようになったのが、広がった理由の一つらしい。

6. その他にも、戦後の経済成長で、はがきや手紙の量が増え、ポストを大きくする必要もあった。初めに 登場した四角いポストは、郵便物の入る容量が丸いポストより約3割増えた。手でかき出していた郵便物を、四角いポストでは袋ごと取り換えるようにして作業も楽になった。

7. 街並みが近代化して、直線的なデザインの四角いポストが好まれたということもありそう。でも96年には少し丸みを帯びたデザインの四角いポストが登場した。A4判の書類入り封筒を折らずに出せるように、差し出し口を大きくする変更などもあった。

8. 最近は、丸いポストを街おこしに活用している所がある。東京都小平市では、今も33本の丸いポストが現役で使われているとか。

筆者注 : 鎌倉市内には37本の赤丸ポストがあります


制作:亜郁/太郎  協力:ひろさん

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