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鎌倉の散歩道  ・・・・・・  40

鎌倉文学散歩  (11)

− 梶原から北鎌倉へ −

同行した太郎さんと、同じバスに乗り合わせて梶原へ。 市中央公園の東南部を囲むように宅地が造成されたのは、三十数年前のようです が、『鎌倉夫人』などを書いた立原正秋が大町からここに移り住んだのはこの頃 だったでしょうか。

そば屋 梶原
▲ そば屋 ▲ 梶原

その立原が外出でバスを利用したときなど、その前を通った鉢植えなども売る米屋 さんがあり、角にはそば屋さんがあり、この店が、彼の随筆に出てくるのを読んだ んは、もう20年も昔でしょうか。それには、ここに移る前の大町在住時、よく喧 嘩をして、逃げっぷりも速かったなどとも書いてありました。韓国人を父に持って いますので、鬱屈したものがあったのでしょうか。

中央公園 百日紅
▲ 中央公園 ▲ 百日紅

急な道を上って中央公園に。ここへ初めてきたのは、数えたら32年前でした。 長男の幼稚園の友達が、案内してくれたのでした。急峻な崖を木を伝いながら下 りると、当時は木立が鬱蒼と二子池を覆い、一人では入れない不気味なところで した。今は、公園として整備され、管理事務所や休憩棟、復旧した水田や畑、炭 焼き小屋などもあり、市民がいくつかの班に分かれて、汗を流しています。 百日紅が咲き、ハンゲショウも見ごろとなっていました。池にはおたまじゃくし や小魚、亀などが見えます

獅子岩 木陰の道
▲ 獅子岩 ▲ 木陰の道

その先、獅子岩があり、右手の道を採ります。山崎方面に流れていく小川があり ます。昔、この小川に入り、手ぬぐいで小魚を追いました。ドジョウや、タナゴ のような丸い魚も採れました。 右手に田んぼ、左手奥に里芋などの葉が見えます。その先、強い日差しを少しで もよけようと、山すその木陰の道に入りました。 夏草が繁茂していました。向こうから数人の男のグループが来ました。 思いは同じだったようです。 蒲の穂などが生えている湿地帯。2年前、ここらでホタルを見ています。

梶原 水田
▲ 梶原出口 ▲ 水田

  小さな梅林から、だんだん道を上ると、梶原出口でした。 この付近に、立原の家があるようです。 住宅街を抜けると、北鎌倉に通じるS字坂上の広い道に出ました。 坂を上りきる手前左に、看板がなければ、それと気が付かないたたずまいの建物 のフランス料理屋さんがあります。中々、人気がある店だと聞いたことがありま す。 坂を上りきったところにある配水地。右に大きくカーブしています。 クワガタの死骸が道端に落ちていました。エンジュの赤い実。 下り道になり、しばらく進むと、左に、数枚の小さな棚田が現れました。 数少ない市内の水田の一つです。歩いている道の下に、西瓜ヶ谷川が暗渠で流れ ています。それが、鎌倉街道に出る手前の左手に、明月院上から流れ出ている明 月川と合流する所が見えます。そこから下流は、小袋谷川と名を変えて 柏尾川に落ちています。  

帰源院 芙蓉
▲ 帰源院 ▲ 芙蓉

北鎌倉駅を左にみて、円覚寺に入り、漱石が参籠したという帰源院に上りました。 やはり、「漫歩の方、お断り」の札が掲げてありました。門から中をのぞくと、 手前に茶室として使われるという建物があり、その向こうが坐禅堂のようです。 暑さに閉口し、12時前、下山しました。 北鎌倉駅ホームから、円覚寺入口付近の大きなスギが見えました。漱石が、 『門』に、「山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮ってゐる ために、路が急に暗くなった。其陰氣な空氣に觸れた時、宗助は世の中と寺の中 との区別を急に覺った」と書いた杉でしょうか。


制作:亜郁/太郎   協力:ひろさん

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