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鎌倉の散歩道  ・・・・・・  34
鎌倉文学散歩  (5)
鎌倉文学散歩・長谷の大佛から笹目へ

− 長谷の大佛から笹目へ −

 今日は大佛から八幡宮まで歩こうと予定しましたが、生憎の雨で笹目で打ち切りとしました。
 江ノ電長谷駅を出て交差点を右折すると、左手に市の「景観重要建築物等」として平成13年に指定された「のり真安齊商店」(主屋は大正13年築)があり、その先の路地を入ります。

▲ 江ノ電長谷駅 ▲ 安齋商店

 右に駐車場がある辺りが、H7年に『この人の閾(いき)』で芥川賞を受賞した保坂和志(56〜)が3歳から25年間、住んだところのようです。

▲ 路地 ▲ 駐車場

 高徳院の境内には、4つの句碑と歌碑があります。時計回りに進むと、先ず18歳で落合直文の「浅香社」に入った金子薫園の歌碑があります。

  寺々のかねのさやけく鳴りひびきかまくら山に秋かぜのみつ
 
大佛左手には、俳人高浜虚子の次女の星野立子の句碑があります。
  
  大佛の冬日は山に移りけり

立子は市内のいくつかの寺で句会を開いていますが、大佛句会でも数々の名句を残しています。
 大佛背後の回廊の後ろに与謝野晶子自筆の大きな歌碑が建ってます。
23歳で鉄幹と結婚し、歌集「みだれ髪」で一躍有名になったことは、よく知られています。

  かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

「釈迦牟尼」としたことの是非について、吉野秀雄と川端康成がその歌論や小説の中に書いてあると、『鎌倉文学碑めぐり』(同文学館資料)に出てます。

 大佛前の鎌倉病院副院長でもあった、飯室謙斉の句碑が薫園の句碑近くにあります。

    春の雨かまくらの名も和らぎて

▲ 高徳院大佛 ▲ 与謝野晶子歌碑

 大佛を出て、塀に沿って上ると、右に入る細い道があり、しばらく歩くと、高徳院の墓地があります。墓地の左手には代々の住職の墓が並び、その奥に吉屋信子の墓があり、手前には自筆の小さな句碑が建ってます。

    秋燈火机の上の幾山河

『女人平家』などの代表作がある信子は、この近くの別荘に疎開していたとか。
旧宅を利用した記念館については、当鎌倉の散歩道「鎌倉文学散歩2」で記しました。

▲ 高徳院裏 ▲ 吉屋信子句碑

 この細い道を進んだ右手は、劇作家、小説家、演出家で戦後、鎌倉アカデミア教授を務めた村山知義が5年ほど住んでいました。
 さらに進むと、直木賞受賞した早乙女貢(1926〜)の居宅があるとか。31年かけて書いた『会津士魂』は、藩士を曽祖父に持つ早乙女のライフワーク。
 戻って左折し、突き当りを左折すると、市役所通りにぶつかります。
税務署手前の十字路を右折して道なりに進むと、左手に数々の児童文学賞を受賞している角野栄子(35〜)のお宅があるとか。
 十字路を右折し、右に折れて進み、大きく右にカーブした先、右手に新しい建物が6軒、建っている所、ここに星野立子は昭和16年から59年まで住んでいました。丁度、通りかかった和服がよく似合う年輩の奥さんに尋ねたら、会ってお話をする機会はなかったが、大きな楠があって、幾棟も建物があり、留守番の人がいたと話してくれました。
 

▲ 笹目住宅街 寸松堂

 引き返して、バス道に出ると左に鎌倉彫の寸松堂。ここも景観重要建築物に指定されています。
 雨が降ってきたので、ここで打ち切りとしました。

制作:太郎/亜郁  協力:ひろさん

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