鎌倉の散歩道−10

材木座を和賀江島まで歩く

今回はKCNの理事O氏の案内で、6人の編集員が
おしゃべりを楽しみながら歩くという和気あいあいの取材行となった


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正宗の墓 先ずは、駅から徒歩2分、郵便局裏の本覚寺にある刀工正宗の墓へ。 墓標の字は磨耗して読めないし、案内板もないが、それも一興・・・ 知っている人だけがひっそりとお参りするという趣があるのでは・・・
本覚寺鐘楼 鐘楼の脇の百日紅(サルスベリ)は盛りを過ぎてはいたがなお鮮やかなだった。
山門も仁王像も風雪にさらされ、ふる年月の証しを刻んでいた。
本覚寺前の小町大路は、鎌倉十橋中、最長という夷堂橋で滑川を渡り、右手に伸びている。
直進して妙本寺の総門手前を右折。比企谷幼稚園の八角形の園舎を左に進む。
夷堂橋
まもなく、門柱に朱塗りの鎌倉彫の木板がかかった常栄寺(ぼたもち寺)が現れる。
彼岸花の蕾は小さかったが、盗人萩とジンジャーの花が今を盛りと咲いていた。
ぼたもち寺
八雲神社 道中にある八雲神社。鎌倉最古の「厄除開運」の社といわれ、地元では「八雲さん」、「お天王さん」と呼ばれ親しまれている。
★参照
逆川橋 広い通りを横切ると、通常とは反対に海岸方向から流れてくる小さな川が見える。
架かっている橋は逆川橋、近くの民家の軒下に「十橋之一」と彫られた石碑が、カンナの花に囲まれて建っていた。
辻薬師堂には、鎌倉から室町期の十二神将像などを安置してある。
元々は神亀年間(724〜729年)に建てられた長善寺の薬師堂で廃寺後、村人に守られてきた。
辻薬師堂
横須賀線をを越えると、材木座。右に入ると石清水井がある。
きちんとまわりを囲ってあり、竹を編んだすのこが掛けてあった。
岩清水の井
元八幡宮門前 少し行くと、元鶴岡八幡宮の石碑が建つ由比若宮
赤い灯明立てと鳥居がひときわ映える。境内はさして広くないが、きれいに掃き清められ、大きな銀杏の木陰もあり、休んでいきたいと感じさせるお宮さんだ。
元八幡宮 源頼義が奥州に出陣の時、ひそかに岩清水八幡宮をこの地に移した、といういわれがある。
詳しくは参考資料に掲載
妙長寺は日蓮の銅像が立つ日蓮宗の寺。境内に11mもあるという相輪塔が4本の支柱に支えられて建っている。
明治24年に泉鏡花が下宿して「星明り」を著述したという。
妙長寺
妙長寺のすぐ先に、見落としてしまうほど小さな石の手すりが置いてある。
十橋のひとつ乱橋である。一またぎ出来るほどの小さな溝が道路下を通っている。
乱橋
五社神社神輿 材木座の鎮守、五所神社の社務所は改修中で、折りよく居合わせた氏子総代の方からいろいろなお話を聞くことができた。
神輿庫には3基の神輿が保管してあり、見せていただいたばかりでなく、撮影のために正面の扉まで開けてくださった。
奥には、「鎌倉 五所和賀」と墨色も鮮やかなちょうちんが並べられ、お祭りの時の勇壮な写真も掛けてあった。
境内には、馬繋ぎ石と乱橋の手摺り石の遺構や、1262年の銘のある貴重な板碑、それに、後ろ手に縛られた人物のなぞめいた石像など・・・興味深いものが見られた。
石の遺跡 謎の石像 五社神社板碑
実相寺の土地は、鎌倉時代の武将工藤祐経の屋敷跡だそうで、後に子孫が法華堂を建てたのが始まりという。日蓮宗 実相寺
路地を入ったところに補陀洛寺がある。
ここの境内にある大きな百日紅(サルスベリ)を期待していが、花は終わっていた。
花の頃はさぞや見事だろう。
補陀洛寺
光明寺の大きな山門を通り過ぎて、海岸がちらちらと見える道を歩き、ガードをくぐったところが最終ゴールの和賀江島。 海岸から少しはなれたところに見える石の遺構が、現存する日本最古の港湾施設の和賀江島である。
満潮には殆んど波に隠れてしまい、干潮にはゴロゴロしている石ころが多く見える。遠景に江ノ島が見えるスポットでもある。
最後の見ものの六角井へ通じる細い道回りは、逗子市小坪との市境だが、道路が境界ではなく、入り組んでいた。
六角井は石積みで、屋形風に覆って保存してある。隙間から覗いたら、十m位の深さに水が見みえた。
満潮の和賀江島 干潮の和賀江島 六角井


この後、逗子マリーナに寄り、小坪からバスで鎌倉駅に戻った。
夏の花が終り、秋の花を待つこの季節、サルスベリや芙蓉のピンク、
ジンジャーやユウガオの白、ハーブの青、カンナの黄色など・・・
最後は大きなエンゼルトランペットの花がバス停近くに重そうに咲いていた。

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