- 「百葉箱」の由来を調べて分かったこと
暑い日が続きます。気温は百葉箱の中で測るのは、小学生の時,教わりましたが、「百葉」の意味が気になり、調べてみました。
奥は深いです。
- 『広辞苑(第5版)』、『大辞泉』とも、外観などの説明だけで、由来は書いてありません。
- 「ウィキペディア」には、「百葉」とは八重の花びら,牛や羊の胃のことを指し,箱の壁の様子が牛の胃袋に似ているところから「百葉箱」と名づけられたといわれている。ちなみに英語では「SCREEN」と言い,「簾,網戸」という意味がある。
- 「エキサイト翻訳」というネット上の機能を使って「百葉」を日中翻訳してみると、「胃袋」って出てきました。
- 「Yahoo!知恵袋」のベストアンサーは、清代の離宮で使われた「百葉窓」=ガラリからきているようです。「ガラリ」、風だけは通して雨は通さない仕組みになっている窓です。
因みに、百葉箱の読み方は、,小学校理科教科書に関しては,1969年以降「ひゃくようばこ」もしくは振り仮名なしで統一されていた。,現在、気象庁の観測では百葉箱は使用されていないとも。
- 信じがたい長さ
- 柳川の掘割は総延長930km
7月31日のA紙「ふるさと food 記」に出てました。東海道・山陽線で行くと、広島県大竹駅までとなっています。
wikipedia にもそうあリました。柳川へは、学生時代の中国〜九州工場見学の後、一人で立ち寄りました。
当時はどぶ川でした。北原白秋の生家や鍋島公の別邸跡の料亭?「御花」も見ています。
- 人間の血管の長さ
確か、人間の血管の総延長も長かったな、と思い出し検索したら、10万キロで地球2回り半でした。
- 2日後のA紙「ニュースが分からん!」に、「『万里の長城』の長さが今までの2.4倍に当たる、2万1千キロ余であったと中国が発表した。これは、東京〜大竹を11.3往復する距離である」と。
-
「十句観音経」と「甘露門」を朝の読経に加える
鎌倉市教養センターで「写経」の体験教室があるというので参加したら、このお経があることを知りました。私は、毎朝のように般若心経、白隠禅師坐禅和讃、修証義(1〜5章)、観音経を8日掛けてあげています。
昨年の正月から記録をつけていますが、8月末現在で468日となります。これに、7月下旬からこのお経が加わりました。その後、比較的分かりやすいお経「甘露門」を「曹洞宗勤行」から見つけ、その一部も加えたので、今では十のお経を詠んでいます。この勤行は、母のタンスの引き出しにテープと一緒にあったのを見つけ、詠むことにしたのです。
- 「大英博物館 古代エジプト展」を見ての帰り
- 8日、A紙などが主催している題記展覧会を見てきました。死んだ王や神官が来世の旅を上手く乗り切るため、木棺などに呪文を書いたり、副葬品、ミイラにしたりして死者を送る、「死者の書」などです。
- 最近読んだ『噴版|悪魔の辞典』の「生命」とは、「…死後の世界を誰も我々に語ってくれない。おそらく、語るに足るほどのことは、何も起こらなかったのであろう」と著者の一人が書いていました。
- その帰途、地下鉄大江戸線の浜松町の1つ手前は赤羽橋だったので、私が生まれた育った辺りを見て回ろうと下車しました。通称・軍艦ビルのダイエー本社辺りから、適当に曲がりましたが、我が家の跡も、家の前にあるそば屋「地球庵」も見つかりませんでした。
浜松町駅への通りから、芝神明神社の鳥居が見えたので寄りました。東北大震災の寄付箱に少し入れました。お賽銭も。幼いころ、芝公園や芝浦海岸で遊んだ記憶はありますが、神明さまで遊んだ記憶はありません。
- 孫娘の感性、肉親への情愛
小6と小1の孫娘が初めて、二人だけでお泊りにきました。学校で日本史を習っているので、鎌倉の「朝比奈切通」を歩きたいというのです。
大船駅のバスターミナルで、私のICカードの額が少なかったので、入金やらコンタクトの手順が分からず、手間取りました。運転手が親切、丁寧な説明がなかったのです。それを後ろから見ていた上の孫がその後、家内に、運転手の言動が気に入らない、おじいちゃんが可哀そうだったと話したと、あとで家内から聞きました。
私も孫娘の成長をうれしく思いました。
- 「夏休み」思い出の自由研究
- 次男の嫁さんからもらったメールに、私の小学生のときの自由研究のテーマ(後出)を書いてレスしました。
- 8月25日のA紙「RANKING」は、'昔の子どもたちに「思い出の自由研究」を伺いました、です。 それによると、1位は日記・絵日記で、以下、作文・読書、昆虫採集・標本つくり、絵画・工作植物の栽培・観察と続いていました。
- 私の自由研究は、「日の出の位置を調べに、朝、自転車に乗って出かけたこと」と「カイコを飼って、やはり早朝、桑畑に行って桑の葉を採ってきたこと」でした。
これは小学2年から4年までの疎開先の群馬県渋川小での自由研究でした。 東京の蒲田に移ってからは、植物採集(押し花)、昆虫採集でした。
上のランキングでは、生物の飼育・観察は9位で、天体観察は10位でした。
- 今の子どもはINを使って調べていると、同じ日の記事がありました。砂糖と塩の性質を調べよう、一瞬で水を凍らせてみよう、牛乳パックで貯金箱を作ろうなどが人気とか。
- 「鎌倉ごみ減量をすすめる会」で出会った人
- 今年、私は、市の「ゴミ減量推進委員会」の町内推進委員になりました。その関係で、市から「鎌倉ごみ減量通信」が送られてきました。早速、町内会長に提出して、回覧するようにお願いしました。
- その「通信」に、題記の「すすめる会」の案内が出ていたので、早速、「生ゴミ減量チーム」に入会しました。
その後、すぐに打ち合わせがあり、出席し、自己紹介したら、若いメンバーから、私の名を言われ、彼はうちの隣家の長女の旦那だと言われました。そして、2日後、彼が作成した議事録がメールされてきました。
- その2日後でしたか、隣家のご主人が亡くなったのを出先から戻って知り、びっくりしながらも、取り敢えず、線香をあげに行きました。通夜、告別式では、喪主の隣に座っていました。
- 古い布団の中から出てきた母のメモ
身辺整理の一環で、家内が古い敷布団を解体したら、布切れに書いたメモが現れたと持ってきました。
『52年5月 テトンロン二枚半づつ 』
35年前の5月に打ち直した綿でこの布団を作ったということのようです。母が78のときです。テトロン製の真綿を使ったのでしょうか。半枚の意味は分かりません。
- 井上ひさし、あるいは資料収集のものすごさ
- 井上ひさしの戯曲『「しみじみ日本・乃木大将』」を、7日に読みました。乃木大将の3頭の愛馬が、前足、後足など3つに「馬格分裂」して、大将の生前のことなど話すという、奇抜なストーリーです。
- 解説文を書いた扇田昭彦が、井上ひさしは、この戯曲のための大掛かりな準備の一端を明らかにしています、と。「乃木将軍に関しては、買い込んだ資料はすごいです。8段くらいの本棚が3つです。10年ぐらい前から計画してるんです。…資料ってのはひとりでに集まって来るんです」。
- そのひさしが随筆で、司馬遼太郎の資料収集のものすごさを語っています。「ある日、神田の古書街に行くと、ある人物、、テ−マの本がゴソット無くなっているのです。聞くと、遼太郎が本屋に注文して集めさせ、トラックで東大阪の自宅まで運んだと」。
- 下記「ひさし伝」によると、井上ひさしも司馬と同じことをしていたと出てます。高畑勲監督がアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」制作のために神田の古本屋街で収集に出かけた先々で、「狸の資料は、すべて井上ひさしが集めて持っていった」といわれたそうです。『腹鼓記』執筆に当たって、井上ひさしが買いあさらせていたのというのです。そして、買い集める月々の本代は二百万円は下らないとも。
- 井上ひさしは、「遅筆堂」とも自称していますが、彼の小説や戯曲を書くに当たっての資料収集からそれらの読破、執筆に当たっての苦闘は大変なもので、それがあるからこそ優れた作品を書き続けて来られたのだと敬服しています。我々がそれらを読む眼福を逃しては大きな損失だとも思います。
もう少し長生きしていれば、文化勲章は間違いなし、と私は思いますが、選考委員は、彼の作品の優秀さを認めても、下品な表現のある作品があると、考えるかしら。無論、天国の井上ひさしは、そんなことには無頓着、歯牙にもかけないでしょうが…。
- ついでながら、いま、笹沢信の分厚な『ひさし伝』(新潮社)を読んでいます。それに、『日本人のヘソ』『表裏源内蛙合戦』『ブンとフン』『モッキンポット師の後始末』などが面白いとあります。これだけでなく、上記の『乃木大将』などが載っていた『井上ひさし全芝居 その7』(新潮社)(一部読了)など6冊も読んでやろうと、ほくそえんでいるところです。持っている単行本の『吉里吉里人』も再挑戦です。1年以上、ひさし漬けになりますか。
作者:亜郁 制作協力:ひろさん
編集部員リレー随筆リスト
|