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鎌倉の古建築(寺院編)   八脚門
八脚門(やつあしもん、はっきゃくもん)は、中心の棟の下に4本の柱を配し、
その前後に各4本、合計8本の柱を配すことから八脚門とよばれています。
ニ層の門(二重門や楼門)と同じような高さがありますがー層の作りです
左右に仁王像などを置き、寺院の守りとします。

八脚門の構造 (モデル:妙本寺 二天門)
下の小さな図(サムネイル)にマウスポインターをあててください。





       妙本寺の山門の建設は嘉永元年(1848)頃、明治維新(1868)の20年程前に建てられたものと推定されています。
       桁行三間、梁間二間で、中央は約4メートル、両脇は約2.4メートルです。



       正面の中央には飛貫を虹梁とし、その上に彫刻欄間を設け、翼のついた竜(飛竜)などが彫られています。
       両脇の飛貫の上は連子欄間とし、頭貫の端には、象(または獏)や獅子の形の彫り物がつきます。





       両脇間にニ天の像がありますが、位置は普通見るような前面ではなく後側です。
向かって右が持国天、左が多聞天(毘沙門天)とのことです。



杉本寺 仁王門


       杉本寺仁王門は、18世紀中ごろと推定されています。この仁王門建立のための勧進がおこなわれたことを示す資料(享保15年(1730))が残っているそうです。
       この門の見所は、仁王像、蟇股そして切妻部分の”18世紀中期の好み”による”かなり派手”な作りということになるようです。(「目録」)

       桁行きが三間で、中央は約2.8メートル、両側は約1.9メートルです。屋根は茅葺の切妻で、造りは主に和様です。



       両脇に仁王像を配します。 各柱の上には三斗が乗りますが、内側も含め、その間に、中心に丸い「三つ柏」の飾りをつけた幅の広い蟇股があるのが際立ちます。



       切妻は、二重虹梁形式とよばれるものです。下の太い虹梁のうえに三斗と蟇股で上の虹梁を受け、その上に少々変わった笈形がついた大瓶束を乗せ三斗で棟木を受けています。
       破風の頂点(拝み)には三花懸魚(みつばなげぎょ)と呼ばれる懸魚がつきます。



高徳院(大仏) 仁王門


       高徳院仁王門は明和五年(1768)ころに再建されたものとのことです。江戸時代の大仏の再興は増上寺の僧裕天が神田の野島新左衛門の支援により、正徳二年(1712)ころからおこなわれました。仁王門と仁王像(銅像)についても新左衛門が寄進を計画、寛保二年(1742)に完成したそうです。しかし翌年に火災で失われ、その後木造の仁王像が造られたとのことです。
       門は近年になって朱塗りとなりました。桁行三間、梁間二間、中央が約3.3メートル、両側が約2メートルです。
       各柱の上の中間(中備)は、正面三間と棟通りの中央に蟇股を配し、残りは撥束となっています。
       屋根は瓦棒のついた銅板葺です。切妻造りで、妻の部分は二重虹梁大瓶束式で、大きな虹梁の上に蟇股を置き、上の虹梁を受けます。その上に大瓶束を乗せ棟木を支えます。

       彫刻装飾を用いず、当時の風を取り入れず”復古的な意匠”(「目録」)とのことです。


<= ポインタをのせると中の仁王様を拝むことができます。


妙法寺 仁王門



       妙法寺仁王門は、江戸後期19世紀初期のものとのことです。(平成17年改築)
      桁行三間、梁間二間で、中央は約2.7メートル、両脇は1.8メートルです。中央は飛貫の代わりに虹梁を使いその上に大瓶束を乗せています。


       妻は虹梁の上に高い笈形をつけた大瓶束を用いていますが、これがこの門の特色とのことです。

       両側の仁王像

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