友の会・アウトドア同好会(第16回)

鎌倉の海辺を行く

2006/10/16

コースの概要

江ノ島駅→腰越漁港→小動岬(こゆるぎ)→七 里ヶ浜→ 稲村ヶ崎→由比ヶ浜


リーダーからの一言

再開後のテーマは、 鎌倉の水辺を歩く、県内の里山・公園・古道を歩く、 としたいと考えております。鎌倉の水辺として、海があり、幾つかの短い川があり、 五名水、十井、十橋と言われている所もあります。これらを辿りたいと思っています。 その第1回は「鎌倉の海辺を歩く」で、10月16日に行いました。 9時半、男子4、女子2の6人が江ノ電江ノ島駅に集まりました。 予定では、お昼までに逗子市境に近い「八角ノ井」にゴールする予定でした。


ポイント報告

01)原初、地球は火山活動が盛んで、その後、長期にわたる降雨があり、海、川、湖沼が形成された、 そこから下等な生物が誕生し、現在の人類に至ったとか。げに、水は生命の泉であります。 その多様な水を辿る一歩をしるし始めました。
02)歩き始めてすぐ、店の前にミニ田が置いてありました。私も5枚のミニ田のオーナーなんです。 スズメに食われ、収穫はゼロですが。
03)江ノ電の車両の先端を置いてある「江ノ電もなか」屋さん。
04)干物の「高清」の辺りは、藤沢市との市境が入り組んでます。
05)赤ポストがありました。県下でも市内には、わりと多く残る方とか。四角い方が収容能力はあるようですが、 地権者の意向で残っているようです。
06)神戸川。ごうど川と読みます。かんべとか、こうべとも読む所はありますが。季節になると、 ボラの稚魚が群れているのが見えます。川長は約2.4kmで、上流には約50haの広町緑地があります。

タタミイワシ
07) 腰越漁港。INで調べたら、漁船数は92、水揚げ高は166トン、水揚げは1億3千万円ほど。 魚種は引き網でのシラスが54トン、マアジ10トン(98年)などとありましたが、少ないのではと思いました。

小動神社
08) 小動岬。こゆるぎ岬。「動」をゆるぐと読む地名は、北陸線の駅に「石動」があります。 「いするぎ」と読みますが、 「いしゆるぎ」からきたと思われます。『逆引き広辞苑』で調べましたが、他にはありませんでした。 テトラポットがある辺りでしょうか、太宰治が、銀座のカフェの女給と 入水自殺を図った所は。
09)海岸線に出ました。市内の岸の長さを1.5万分の1の地図で計ったら6.9kmでした。 速く歩けば、1時間と少しです。

サーファー
10) 下見のとき、地平線までの距離はどのくらいなのかと疑問がわきました。グーグル検索で分かりました。 高校で教わった「ピタゴラスの定理」を使い、地球の半径がわかれば、計算できるのでした。渚に立つ人の目線の高さを 1.6mとすると、目の位置と水平線、そして地球の中心を結べば、大きな直角三角形が形成されるので、地平線までの距離を Xとすると、半径が6,380kmですから、(6380+0.0016)の二乗=6380の二乗+Xの二乗この式からX=4.5kmとなります。 意外と近いんですね。

稲村ガ崎からの展望
11) 海には、サーファーが多く入ってます。台風18号のうねりが押し寄せています。 七里もないのに、何故、「七里ケ浜」か? 九十九里浜、九十九島、八百屋、百貨店も実態とは違ってます。検索で 調べたら、
イ)鎌倉時代の単位でおよそ7里というのがありました。七里ガ浜はおよそ2.4kmなので、1里は約340mと なります。ホントでしょうか。
ロ)『魏志倭人伝』には、「東行して不弥国に至ること百里‥」などとありますが、 このときの1里は約78mと書いたHPもありましたが、真偽のほどは・・・。
12)「七里ケ浜」と「七里ガ浜」は場所が違うのです。「七里ケ浜」は海岸を指し、「七里ガ浜」は町名です。 『かまくら子ども風土記』に書いてあります。


13)行合川、行合橋の名の由来は、ご存知かと思いますので割愛します。上記の『‥‥子ども風土 記』のP269にあります。
14)稲村ケ崎駅の標識がありました。駅は戦前からあるからでしょう。
15)新田義貞の稲村ヶ崎攻略で、「‥‥剣投ぜし」と歌われているのは、義貞のパーフォマンスだとの説がありますが、 明治には引潮の時、歩いて渡れたと書いてあるHPがありました。義貞は初め、極楽寺から攻め入ろうとしましたが、 果たせず、稲村ヶ崎に回ったとか。私の家の近くに、「洲崎合戦」碑があります。ここで勝利した義貞軍の一方の寄せ手は 化粧坂から鎌倉に攻め込んだようです。
16)磯の香りがしてきました。磯の香りは海藻と塩から発せられるもののようです。学生時代に行った「山陰・山陽」 一人旅の出雲の日の御崎灯台近くで気がついたのです。
17)市営プールに入る所に石碑があり、1955年の国体では、ここで水泳競技が行われ、両陛下が臨席されたと書いてありま した。
18)稲瀬川近くにも石碑が立ってます。他所に出掛けた政子が、鎌倉入りするのに日が悪く、この近くで何日か逗留を 強いられたと書いてあります。
19)最近、由比ヶ浜でサクラガイを見つけることはあるでしょうか。あっても少ないでしょう。ここで見つけた サクラガイの数を調べた方がいらしたのです。森豊さんという方です。「十数年前、森豊がサクラガイを拾って数を 記録するようになった。1日に数個という日もあれば、500拾えた日もあった。平成9年はこれまでで最も多く採取できた年 だった。197(6月)〜2,470(11月)個で計12,251個だった」、と郷土史研究家の清田昌弘さんが、「鎌倉朝日」の H12年5月2日号に書いていました。
20)滑川河口の手前に着いたのは12時を回っていたので、今日は、ここまでで打ち切りとしました。この先は、 そのうちに歩こうと思います。そして、会員の皆さんに事前に送った、「水源とはどこ?」「左岸はどっち?」 「1級河川、2級河川とは?」「滑川はいくつの名を持つの?」といった答えはその時までとっておきましょう。 私の持ちネタが底をつきますので(笑)。


原稿:亜郁   制作協力:奥山 裏方 だだっこ

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