友の会・アウトドア同好会(第1回)

腰越歴史散策


参考地図

歩いた概略コースはピンクの点線で示してあります

歩いたコースと時間

マップ

第1回 友の会・アウトドア同好会を10月16日(水)に開催しました

10月のアウトドア同好会の行事と、シニア通信11月号の鎌倉散歩・紹介記事取材を兼ねて、「鎌倉の散歩道−腰越を歩く」企画です。
当日の参加者は23名、案内役の西片さん、世話役の運営スタッフ3名を加え、総勢28名の大盛況となりました。3時間近く歴史の勉強をしながらの運動をした後、昼食を「かきや」で名物の“シラスかきあげ丼”を頂きましたが格別の美味しさでした。

出発
湘南モノレール・江ノ島駅・3階の改札前に午前10時集合。用意した腰越の地図を配りスタッフの挨拶。本日、歴史の歴史説明と案内をしてくださる「西片さん」から自己紹介があり、早速出発。
常立寺
最初にお参りするのは常立寺で、龍口寺の西北・龍口山の裏側の麓にあり、集合場所から見下ろすと本堂の屋根が近くに見え駅から歩いて3分ほどで行けます。
また山門をくぐると右側に六地蔵が並んでいて、左側には「元使塚」(げんしずか)があり5つの五輪塔と大きな碑が立っています。
本蓮寺 本蓮寺の歴史は古く(595年)推古天皇の時代に高麗の帰化僧「恵慈(えじ)」の弟子「義玄上人」が開山したと伝えられる歴史のあるお寺です。
ここも常立寺と同様に、1184年頼朝が再興して「弥陀山大御堂源立寿寺」(みださんおおみどうげんりゅうじゅじ)といって真言宗でしたが、日蓮が泊まったのがもとで改宗したと言うことです。
龍口寺 寂光山・龍口寺は、日蓮上人の「龍ノ口の法難」であまりにも有名なので詳細はその筋の紹介記事にゆずりますが、日蓮亡き後に弟子の日法が自分で日蓮の像を刻んで草庵を建てて安置したのが龍口寺の始まりと言われています。
また仁王門の手前左側の道路に面した場所に「日蓮上人法難刑場旧跡」があります。
腰越古道 明治35年(1992年)に、江ノ電が開通しましたが、線路施設と併せて腰越の通りは海から少し奥に現在の新道が作られ、昔からの道は裏道となってしまいました。この旧道が腰越古道とも言われ「龍口寺から少し海岸に向かった所から神戸川河口(腰越漁港近く)まで残っています。
龍口寺・仁王門前から向かって右手の腰越中学校裏に通じる道を100メートル程進むと左手に「法源寺」「ぼたもち寺」と書かれた石碑が建っています。急な参道を少し登ると突き当りが龍口寺輪番八ヶ寺の一つである法源寺です。本堂裏手には「寛文七年(1667年)」の銘が入った「人まねき庚申塔」があります。

満福寺

龍護山・満福寺は、義経の腰越状で有名な満福寺は、天平16年(744年)僧行基が開いた京都大覚寺派真言宗の寺です。本堂内には鎌倉彫の花の寺にふさわしく48種の7色の鎌倉彫の花が位牌堂の各天井に嵌め込まれています。
七里ガ浜 小動岬の東側(七里ガ浜)の海から国道に通じる十間坂(じゅっけんざか)と呼ばれている狭い路地があり、国道を横切って浄泉寺の横を通って龍口寺方面に続いています。昔は腰越古道とつながっていた、もっと広い道だったのではないでしょうか。
自動車の往来が激しい国道134号線の下の砂浜に、漁師の小屋があり、捕れた魚を干していました。
今朝捕れたばかりの鰯を干したのを売っていたのを発見し、これは新鮮で美味いぞ! と一同入り込んで一袋500円でお買い上げ、小屋にあった物は売り切れとなってしまい、歴史散歩が買い物ツアーに変身したひとときでした。
小動神社 江ノ島東海岸と七里ガ浜を隔てるように小動岬(こゆるぎみさき)があり、国道沿いに石造りの「明神鳥居」という形式の鳥居が建っていて、参道の奥に小動神社の本殿があります。
ここには、海に面した展望台もあって、江ノ島や伊豆・箱根・富士山が眺められます。(我々が訪れたときは昼過ぎで逆光でもあったため、残念ながら富士山は見えませんでした)
浄泉寺 国道134号線を挟んで小動神社の反対側に、空海が開いたと伝えられる小動(こゆるぎ)の山号を持つ浄泉寺があります。
1872年(明治5年)学制が敷かれたあと、近在に散在していた寺子屋を此処に集めて「発蒙学舎」としたのが、腰越小学校の始まりだそうです。

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