関東大震災の鎌倉 その26

―東京市及び神奈川県下の被害概況(1)―

 今回から、鎌倉町以外の県内被災状況について説明します。

東京市の惨害
 震災直後市街は焦土と化し、日本橋方面から焼け残った浅草寺が望め、浅草方面より九段の大鳥居を眺めることができたといいます。火元は百数十ヶ所と伝えられ、飛火や失火もありましたが、大半は震災に起因しました。3日に鎮火するまで焼失面積は約34,603,800uに達し、焼失戸数286,000戸、焼死者58,600人、行方不明者36,300人を数えました。とくに惨劇を極めたのは本所の被服廠跡(ひふくしょうあと)で、午後3時半頃に突然旋風が起こり、渦巻きが炎や煙を巻いて44,000人の焼死者が出ました。
 この火災で大蔵・内務・文部・鉄道・農商務・逓信各省や警視庁等は全焼し、帝国大学の一部や明治大学・新橋駅・上野駅・両国駅・帝国劇場・歌舞伎座・浅草十二階・国技館・三越呉服店等の建物が崩壊しました。また、鉄道は停止し、橋は落ち、電信電話は不通となり、断水や食糧の欠乏等、浅草・上野・日比谷各公園、皇居前広場などに避難した数10万の被災者は、危機に陥りました。



『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から

浪川幹夫


『大正十二年 大震災記念写真帖』昭和6年 山田商店
写真1 (『大正十二年 大震災記念写真帖』昭和6年 山田商店)


『大正十二年 大震災記念写真帖』昭和6年 山田商店
写真2 (『大正十二年 大震災記念写真帖』昭和6年 山田商店)
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