関東大震災の鎌倉 その19

  ―公共施設等の被害―

 2 鎌倉駅と鉄道施設
 駅本屋は東南に約30cm傾斜し、壁や窓ガラスは破砕し、塔の大時計の指針は午前11時58分で停止しました。
 震災発生時は避暑客の引上げの時期で、待合室などは多くの乗客で混雑していましたが、第1震と共にみな屋外に脱出しました。しかし執務中の駅員は逃げ出せなかったので机の下に身を潜め、様子を見て外に出ました。屋外で貨物列車の入換え作業中であった駅員は無事でしたが、プラットホーム上屋の倒壊で助役と信号係1名は屋根に圧され、保安器の内側に隠れて難を免れました。また、プラットホームには列車待ちの客が20名ほどいて、うち数名が上屋倒壊の際に負傷しましたが、重傷者はいませんでした。
 一方、駅前の建物は倒壊と同時に数ヶ所で発火し、付近一帯が火の海と化し駅舎は煙に包まれました。火災は構内の人力車庫や自動車庫と駅本屋出口に迫り、南方の運送店倉庫方面からの火は貨物ホームに置かれていた電柱や米・角材・薪等に延焼し、続いて貨車2輌(内1輌は積荷白米約10トン)を焼きました。これに対して余震が続く中、駅員は消火作業のほか、停車場内の旅客や利用者等の保護や、重要書類・保管荷物等の搬出に全力を注ぎました。
 しかし、貨物置場にあった木炭や、便所の屋根に飛火した頃には井戸水が枯渇したので延焼を抑えきれず、やむなく便所の溜め池から撒布しました。これによって駅舎は類焼を免れました。
 火事は午後6時頃には鎮静化しましたが、多くの被災者が線路上に避難したので駅舎を開放し、別の貨物置場の玄米と白米を使用して駅前広場で数回炊出しを行いました。そして、その夜駅員は一睡もせずに警戒にあたりました。
 翌2日は貨物列車に積載されていた白米5俵・煮干魚3梱を構内の被災者に渡し、白米5俵を駅員とその家族に給し、さらに町役場には救援物資として、貨物ホームに置いてあったうるち白米3俵・もち米32俵・玄米5俵・醤油7樽・煮干魚32梱を提供しました。
 また、駅員には他町村からの通勤者がいたので、家族の安否確認のため彼らを一時帰宅させました。残った駅員は貨車内に事務室を移し、来遊していた被災者の誘導や飲料水の提供等を行いました。
 鎌倉での鉄道の被害は、大船方面では扇ガ谷トンネル山ノ内側入口の崖が少し崩れただけでしたが、逗子方面は滑川鉄橋の両土台が傾斜し付近の盛土が陥没、名越トンネルは入口上の砂が300坪ほど線路上に崩落、このほか線路の屈曲や盛土の陥没等が随所に生じました。
 以上のほか、当時東京を基点とする鉄道はいずれも不通であって、県内の東海道線・横須賀線・熱海線・横浜線等は壊滅的な被害を受けたといわれます。

『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から

浪川幹夫


写真1 焼け残った鎌倉駅舎
写真1 焼け残った鎌倉駅舎(鎌倉市中央図書館蔵)
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