関東大震災の鎌倉 その18

  ―公共施設等の被害―


 今回から、公共施設等の被害状況について紹介します。
 1 鎌倉町役場
 大地震発生直後役場の庁舎は南側に倒壊し、土蔵も粉々になったといいます。
 この時職員は昼食中で、震動の瞬間数名の職員は玄関や窓から脱出して難を免れましたが、それ以外の職員は倒壊した建物の下敷となりました。町長室では早川義雄町長が金庫のかげで、同室にいあわせた助役は玄関口の廊下で、収入役は金庫のかげで下敷となりました。
 間一髪脱出した職員も多くは自家の安否を気づかって四散したため、わずかに残った職員では手の下し様もありませんでした。
 一刻も早く町長らを救助するため、たまたま大巧寺(だいぎょうじ)境内でノコギリを持って通りかかった人に応援を求め、自力で出て来た職員が協力して玄関南脇のわずかな隙間から助役ら4名を救助しました。彼らより数メートル奥でつぶされた巡査は、倒壊直後から数回救助を求めるかすかな声を発していましたが、じきにその声は途絶えました。ほか収入役と4名の書記は自力でのがれ出ました。
 町長が救助されるまで約2時間を要し、この間、停車場前の火災は鉄橋付近から鶴岡八幡宮前まで若宮大路西側一帯の商業地区を焼きました。
 町は食糧や被災者の救護などの対策を講じ、まず、倒壊を免れた小町の商店の倉庫から玄米20俵を譲り受けました。そして、夜になって停車場構内の貨車に積まれた米や醤油などを譲り受け、師範学校に交渉して炊出しの準備に取りかかりました。
 翌2日早朝より町は役場玄関前の空地に仮設建物を建てて仮事務所としました。約半数の職員は負傷や事故等のため出勤不能でしたが、4日になって職員や小学校教員を動員し、臨時職員や作業員を雇用して遺体等の収容作業を開始しました。5日には清掃作業員と臨時作業員を雇い、海軍警備隊の応援を得て倒壊庁舎の整理に着手しました。書類や帳簿類は3日間の豪雨に浸されて汚損がひどく、中には埋没したり、散逸したものもありました。
こののち、役場仮庁舎は工兵第1大隊によって旧位置に急造され、10月4日に移転しました。 『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から

浪川幹夫



写真1 役場・停車場前(中央は倒壊した町役場か)
写真1 役場・停車場前(中央は倒壊した町役場か。 左の車両は江ノ電で、
「海軍派遣員詰所」と書かれた看板がある。 (鎌倉市中央図書館蔵)

写真2 仮設の町役場庁舎
写真2 仮設の町役場庁舎(鎌倉市中央図書館蔵)


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