関東大震災の鎌倉 その16
―各区の被害状況―
今回は、現在藤沢市に所在する江ノ島や、震災当時鎌倉町外にあった腰越津村と小坂村の被害概況について紹介します。 なお、大船方面については『鎌倉震災誌』に記録がないので、詳細は不明です。
川口村江ノ島については震災当時に陥没説が伝えられましたが、江ノ島神社は無事で、片瀬から渡るための桟橋は津波によって流失しました。
腰越津村は全戸数の約37パーセントに当る278戸を焼失。全壊415戸、半壊162戸、死者58名を出し、全村のほとんどが壊滅しました。 また、同村七里ガ浜の鈴木病院は全壊して、死者11名を出しました。
『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から
浪川幹夫
写真1 片瀬海岸の被害状況
「江の嶋 地震当時海中に没せりと誤報せられし江の島は地盤一帯に岩なりし為め被害比較的軽微なりしも、 対岸と連絡の唯一の桟橋は津浪の為めに浚はれて非常なる窮境に陥れり、図中一列の杭は桟橋の跡なり」
『関東大震災写真帖』日本連合通信社 大正12年11月28日発行 より
写真2 腰越日坂付近の被害状況。道路の石垣がみな崩壊している。
「七里ヶ浜 鎌倉、江の島間に於ける行楽の地たる七里ヶ浜も図の如く県道の石垣崩壊し、一時は交通杜絶するに至れり」
『関東大震災写真帖』日本連合通信社 大正12年11月28日発行 より
写真3 絵葉書「大正十二年九月一日 鎌倉大震災の惨状 七里ガ浜」
倒壊した建物は、鈴木病院か。
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