関東大震災の鎌倉 その15

  ―各区の被害状況―


極楽寺
 戸数185戸。うち全壊57戸、半壊52戸で、死者は7名でした。
当区では稲村ガ崎から七里ガ浜までの海岸一帯で岩石が露出しました。 このあたりは地盤が堅固と思え、地震の被害は他区に比して軽微であったことが伝えられています。
 建物の被害が最も激しかったのは姥ヶ谷(うばがやつ)と極楽寺坂付近でした。 極楽寺坂は崩壊しましたが、成就院付近の脇道と江ノ電のトンネルを利用して外部との連絡は保たれました。
熊野新宮・八雲神社・諏訪神社は全壊し、極楽寺は本堂・方丈・客殿・庫裡等が全壊し、成就院は本堂と倉庫が半壊し、庫裡が全壊しています。
 道路は極楽寺坂のほか、極楽寺門前や付近の山林が崩れたため一時通行不能となり、音無橋(おとなしばし)が落下しました。 そして、極楽寺橋は津波のために流失しました。
『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から

浪川幹夫



写真1 霊山山頂にあったコッホ博士来鎌記念碑(現稲村ガ崎頂上に所在)の倒壊状況(鎌倉市中央図書館蔵)
写真1 霊山山頂にあったコッホ博士来鎌記念碑
(現稲村ガ崎頂上に所在)の倒壊状況(鎌倉市中央図書館蔵)

写真2 稲村ガ崎付近から江ノ島方面の被害状況
写真2 稲村ガ崎付近から江ノ島方面の津波等の被害状況


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