関東大震災の鎌倉 その12

  ―各区の被害状況―


由比ガ浜
 戸数は662戸。うち全壊176戸、半壊192戸、全焼105戸で、死亡者は74名、重傷者は153名でした。
 当区は鎌倉町の中でもとくに新しく発展した地域で、粗造の建物や別荘建築などが多くありました。  加えて地盤が砂質か埋め立ての土であったため震動が強かったようで、六地蔵以西から長谷境までの県道沿いと、 笹目通りの一部を除いては、ほとんど全壊・全焼したといいます。
 まず火災では、大町の江ノ電停留所と鎌倉停車場裏通りまでが焼失し、鎌倉郵便局は全焼しました。  また、六地蔵より御用邸前通りの裁許橋付近までが延焼し、小町付近まで達した火は御用邸前の別荘地一帯を焦土とし、 下馬橋際から発した火は電車の線路沿いと若宮大路の並木敷沿いの数戸を焼きました。
 建物倒壊が最も多かったのは下馬・佐助通りや和田塚通り以東の区域で、一ノ鳥居際の松方公爵別邸のほか、 島津公爵・中山侯爵・陸奥伯爵・芳川伯爵・辻男爵・浅野総一郎・等の邸宅や、鎌倉小学校・鎌倉高等女学校々舎・一ノ鳥居(現、重要文化財)も倒れました。
 御成小路の共信銀行支店・下馬の日本メソヂスト教会と幼稚園・笹目の鎌倉産科婦人科病院・島津侯爵・細川侯爵・松平子爵等の別荘、佐助ヶ谷の鎌倉保育園などはいずれも倒壊し、 海浜ホテル・由比ガ浜公会堂・鎌倉劇場等は倒壊を免れました。
 御用邸前通り(現、市役所・御成小学校周辺)・稲荷通り・笹目通り等は亀裂を生じ、 下馬稲荷通りの水路土留と滑川岸は決壊し、裁許橋・下馬橋・延命寺橋・海岸橋等が墜落。若宮大路では倒れた一ノ鳥居の巨材が路上に横たわり、 下馬橋南側の数戸は県道上に倒壊し、人々は屋上を歩く状況でした。
 津波は海岸一帯を襲いました。海水は砂丘を越えずに若宮大路に浸入し、一ノ鳥居付近に達して海岸橋際の四ツ角付近に漁船一艘を打ちあげ、 さらに、滑川を遡って延命寺橋付近に達しましたが、民家への被害はありませんでした。
『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から

浪川幹夫



写真1 鎌倉海浜ホテルの被害状況
写真1 鎌倉海浜ホテルの被害状況

写真2 鎌倉高等女学校の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
写真2 鎌倉高等女学校の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)

写真3 六地蔵付近の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
写真3 六地蔵付近の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)


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