関東大震災の鎌倉 その4

  ―津波2―

 津波は熱海・伊東以南の沿岸を浸して北上し、小田原付近で東へ折れ、鎌倉に襲来したと考えられています。 それによる被害は小田原・大磯辺では軽微で、伊豆・鎌倉方面は大きなものであったといわれます。 『鎌倉震災雑誌』は各地の津波の高さを、房州洲の浜8.1m、葉山5.4m、小坪7.1m、吉浜8m、熱海6.5mと推定し、 当時鎌倉町に来襲した津波は小坪よりも1mを超過していたと伝えています。流失家屋は、坂ノ下53戸、 長谷30戸、乱橋材木座(現在の材木座と大町・由比ガ浜等を含んだ地域)30戸で、 計113戸に過ぎず統計上からみれば僅少ですが、倒壊した家屋の下で溺死した人は少なくなかったといわれます。
 津波による鎌倉の被害の状況は、前回と今回の写真によってその惨状をうかがい知ることができましょう。 (『鎌倉震災雑誌』より)

浪川幹夫


写真1 七里ヶ浜の惨状
写真1 七里ヶ浜の惨状 『関東大震災写真帖』日本連合通信社 大正12年11月28日
 写真の解説には「鎌倉、江の島間に於ける行楽の地たる七里ヶ浜も図の如く県道の石垣崩壊し、 一時は交通杜絶するに至れり 左手に見ゆるは江の島なり」とあります。 地震と津波の両方の被害を受けたものと思われます。

写真2 絵葉書「大正十二年九月一日 鎌倉大震災の惨状 由井ヶ浜つなみの跡」
写真2 絵葉書「大正十二年九月一日 鎌倉大震災の惨状 由井ヶ浜つなみの跡」中田孝信氏蔵
 前回紹介しました写真1の同じ場所を、別の角度から撮影したもの。洋風の建物がほぼ全壊し、 その前には瓦礫の山が築かれています。

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