関東大震災の鎌倉 その2

  ―震災の被害状況―

 ここからは、『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場刊)の内容に基づき被害の状況についてお話しします。
 第1震は大正12年9月1日の午前11時58分45秒、第2震(余震)は零時40分に襲来しました。建物や橋梁の倒壊、山崖の崩壊等被害の大部分は第1震によるもので、第2震では被害を一層深刻にしました。
 また、建物等の倒壊状況や地上の亀裂などを観察した結果、鎌倉町での地震はほぼ南北に強く活動したことがわかりました。たとえば、大仏は南南東で45cmだけ沈下し、下がった方へ35cm程動きました。さらに、 光明寺山門は北西に50cm程ずれたといいます。
 当時の鎌倉町(現在の大船・山ノ内・腰越地区等を含まない)の戸数は4,183戸で、 被害状況は下の表のとおりです。被害が軽微だったのはわずかに600戸程度でした。表の内容については、 各区の被害についてお話しする時に随時触れることとします。

鎌倉町被害戸口表
字  別 全戸数 全 潰 半 潰 埋 没 全 焼 半 焼 流 失 死亡者
十 二 所 40 3 11 1 0 0 0 2
浄 妙 寺 40 10 15 0 0 0 0 5
二 階 堂 106 11 19 0 0 0 0 2
西 御 門 43 8 5 0 0 0 0 1
雪 ノ 下 432 229 127 0 76 2 0 37
扇 ヶ 谷 192 70 73 0 1 0 0 17
小   町 435 123 109 0 158 0 0 43
大   町 527 196 301 1 0 0 0 21
由比ヶ浜 662 176 192 0 105 0 0 74
乱橋材木座 607 250 326 0 1 0 30 59
長   谷 553 161 201 0 102 2 30 92
坂 ノ 下 361 161 118 6 0 0 53 52
極 楽 寺 185 57 52 0 0 0 0 7
合   計 4,183 1,455 1,549 8 443 4 113 412

 建物のうち、最も被害が大きかったは石造・土造・レンガ造で、木造瓦葺ぶき・草ぶきなどがこれに次ぎ、 アエンぶき・板ぶきは最も軽微でした。当時鎌倉町にレンガ造では鎌倉銀行が、土蔵造では駿河銀行がありましたが、これらは倒壊して6名の圧死者と数名の負傷者が出ています。
 このほか土手や石垣も崩れ、道路はいたるところで亀裂を生じました。ことに七切通等の崩壊は著しく、町外との連絡や救護品の輸送等が途絶えたといわれます。

 次回は津波による被害状況について、お知らせします。

写真1 六地蔵付近の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
写真1 六地蔵付近の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)

写真2 鎌倉大仏の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
写真2 鎌倉大仏の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
(日光市 小林庄太郎氏寄贈)

写真1 六地蔵付近の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
写真3 鎌倉大仏の被害状況(鎌倉市中央図書館蔵)
タイトルに「大仏前進(一尺一寸八分)ノ跡」とある。
約35.8cm前進したことがうかがえる。

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