関東大震災の鎌倉 その1

  ―このシリーズをはじめるにあたって―

 大正12年(1923)9月1日、午前11時58分45秒、震度8クラスの烈震が関東南部で発生し、 一瞬のうちに鎌倉全域を壊滅させました。『鎌倉震災誌』(昭和6年 鎌倉町役場刊)によれば、 被害は鎌倉町で全壊1,455戸、半壊1,549戸、埋没した家8戸。さらに津波による流失113戸、 地震直後の火災で全焼が443戸にのぼり、半焼は2戸で、死者412名、重傷者341名を数えました。 大船(山ノ内を含む)の被害は全壊450戸、半壊80戸、死者18名、負傷者は23名。 腰越津村の被害は全半壊合せて310戸、死者70名でした。なお深沢村もかなりの被害を蒙ったようですが、 詳細は不明です。
 ところで、当時の鎌倉町の全戸数は4,183戸で、大船の全戸数が635戸。腰越津村は500戸以下でした。 戸数・人口も少なく、鉄筋コンクリート造の高層建築もあまりなかった当時のこの数字は、 今日の鎌倉と市民生活にとって重大な意味をもつものと考えられます。
 このシリーズでは『鎌倉震災誌』等に見える記録や当時撮影された写真や絵画などをもとに、 関東大震災直後の鎌倉の被害の状況や規模などについてビジュアルな方法で紹介しようと思います。 そして、今回のこころみが今後の防災対策に反映できれば幸いです。

写真:由比ヶ浜海嘯跡−(鎌倉市中央図書館蔵)
写真 由比ヶ浜海嘯跡−(鎌倉市中央図書館蔵)


「由比ヶ浜海嘯跡」(鎌倉市中央図書館蔵)  霊山崎から見た津波のあと。眼下に見えているのが坂ノ下地区でほとんど全戸が倒壊し、 さらに津波の災害も受けているので、見てのとおり惨状は甚しい。


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