古き鎌倉再見 その26

―大倉耕地(大倉幕府跡)の周辺1―

   写真は明治時代末頃の筋違橋(すじかいばし)です。この橋は雪ノ下の横浜国立大学附属小学校前の交差点に位置しますが、昭和30年代の道路拡張工事の際に川は暗渠(あんきょ)となって、現在では橋はなく石標のみが残っています。  写真の下には「鎌倉小町と大蔵との間を通ずる小流れに架せらるゝ石橋にして十橋の一なり、此れを大蔵への入口とす」と、鎌倉十橋のひとつであることが書かれています。画面中央には橋と石標が、また、橋を渡った左側には土蔵と茅葺き屋根の家が建っており、その奥は神奈川県師範学校(現、横浜国立大学附属小中学校)にあたると思われます。筋違橋は『吾妻鏡』にも散見されますが、金沢・六浦(むつら)へ向かう道に沿って斜めに架けられていたため、その名が付いたといわれます。現在では全く様変わりしており、この写真は明治時代の姿をしのぶ貴重な資料といえましょう。
写真:明治時代末頃の筋違橋
写真 明治時代末頃の筋違橋
『日本史蹟(天,月之巻)』熊田葦城 大正2年修訂再版 昭文堂 より


浪川幹夫

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