古き鎌倉再見 その18

―材木座の辺り2―

 材木座海岸の景
 今回は、明治時代の海水浴場の風景を紹介します。写真1は材木座海岸から小坪方面を望んだもの。海をへだてた中央奥の家並みは飯島辺りの景でしょう。左手奥の山の中段にある建物は別荘かも知れません。また、画面手前には麦ワラ帽子をかぶり、明治時代の後半に流行ったという「シマウマ」と 呼ばれる水着姿の女性が5人写っています。
 写真2は同海岸から稲村ヶ崎と由比ヶ浜方面を望んだ景色です。褌(ふんどし)姿の若者連は、明治時代、毎年夏に材木座光明寺を借りて合宿をした陸軍幼年学校の生徒たちと思われます。ひとり制服姿の兵士がいますが、おそらく当番でしょう。同様の制服姿の兵士は、光明寺本堂の古写真にも見ることができます。
 ところで明治30年(1897)、当時熊本の第五高等学校の講師であった夏目漱石(1867〜1916)は、夏に上京して鎌倉材木座を訪れています。そして漱石は、この頃の材木座の情景を小説「こゝろ」に描いています。

写真:明治時代の材木座海岸(鎌倉市中央図書館蔵)
写真1 明治時代の材木座海岸(鎌倉市中央図書館蔵)

写真:明治時代の材木座海岸(鎌倉市中央図書館蔵)
写真2 明治時代の材木座海岸(鎌倉市中央図書館蔵)


浪川幹夫

▲TOP

Copyright (C) Kamakura Citizens Net / Kamakura Green Net 2002 All rights reserved.