古き鎌倉再見 その11

―長谷・坂ノ下の辺り1―

 今回から、鎌倉市中央図書館が所蔵する古写真のうち、明治初期の貴重な資料を地域別に紹介します。まず、はじめは長谷・坂ノ下方面です。
 写真は長谷寺と光則寺(こうそくじ)周辺の遠望です。左の三角屋根は長谷寺観音堂で、やや中央寄りの奥まった所に見える三角屋根は光則寺本堂と思われます。そして、右手の山の下の鳥居は甘縄神明社(あまなわしんめいしゃ)でしょうか。このほか、写真にある建物群は数も少なく配置もまばらで、当時の長谷通り周辺は一面の田圃か畑地であったことがうかがえます。
 ところで、かやぶきの建物がある中に二階建てのものが2、3棟建っています。少しづつ別荘が建ち始めたのでしょうか、南に面して平らな日よけのある、似たような建築物が並んでます。あるいは、これらは地元が経営した貸別荘かも知れません。
 なお、明治20年(1887)由比ガ浜の松林に結核療養所(サナトリウム)「海浜院」を開設した中心人物、医学者長与専斎(ながよせんさい・1838〜1902)が別荘を持ったのが明治17年(1884)。政界の重鎮のひとりであった井上馨(いのうえかおる・1835〜1915)が稲村ヶ崎山上に別荘を構築したのも20年のことといいます。また、18年3月25日の『東京横浜毎日新聞』には、長谷にあった三橋旅館の「海水浴御馳走広告」が掲載されています。これらの事からこの写真は、都市近郊の保養地として脚光を浴びつつあった鎌倉に別荘が建ち始める、明治20年以前の撮影と考えてもよいでしょう。

写真:長谷界隈(鎌倉市中央図書館蔵)
写真1 長谷界隈(鎌倉市中央図書館蔵)

浪川幹夫

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