古き鎌倉再見 その10

明治初年頃の社寺の風景(2)

 建長寺は鎌倉五山の第1位。今回は、その明治のはじめ頃の写真を紹介します。

写真:江の島、砂浜より望む
写真1 建長寺惣門(手前)と山門(奥)(推定鈴木真一撮影)(横浜開港資料館蔵)


 写真の惣門(そうもん)は、今とは構造も建つ位置もちがいます。寺の記録によれば、慶長14年(1609)建長寺大工河内宗左衛門尉(かわちそうざえもんのじょう)によって再興されたといい、大正12年(1923)関東大震災で倒壊しました。現在の門は昭和18年(1943)、京都般舟三昧院から方丈(ほうじょう)の建物とともに移築されました。また、最近行われた発掘調査の結果によれば、旧惣門の辺りは現在よりも1.2〜1.3mほど深かく、石垣が廻っていたようです。

写真:腰越、江の島付近の砂浜
写真2 建長寺山門(推定鈴木真一撮影)(横浜開港資料館蔵)


 表題がわりの看板があり、「TEMPLE KAMAKURA 鎌倉建長寺」と読めます。写真は2点とも外国人向けに撮影されたものかも知れません。
 寺の記録「建長寺参暇(さんが)日記」によれば、安永4年(1775)の再建といいます。現、神奈川県指定重要文化財。寺の伽藍(がらん)の中心的な存在であり、円覚寺山門や光明寺山門などとともに、鎌倉でも最も大きい木造建築物のひとつです。屋根はかやぶきですが、昭和29年の大修理で銅ぶきになりました。

浪川幹夫

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