鎌倉にゆかりのある方にお話を聞く…第30回 My 鎌倉
今回のゲスト
鷺谷華恵さん(国芸書道院常任理事 池坊京浜会支所長)
 お花、お茶、書道と様々な伝統芸術の師範である鷺谷さん。今でこそ生徒さんのたくさんいらっしゃる鷺谷さんですが、寒い日にこたつでお稽古をしたりもしたことがあるそうです。肩書きのイメージとは違い、肩肘の張らない、楽しいお稽古をモットーとされているそんな鷺谷さんに、鎌倉という街に住んでいるからこそ考えなくてはいけない、そんな問題点を話していただきました。

 私が鎌倉にやってきましたのは、昭和31年のことです。主人の仕事の都合で越してきたのですが、考えてみればかれこれ40年以上経っています。生まれ育った東京にいた時間よりも長いこと、この地に住んでいることになります。
 鎌倉で、私は様々な恩恵を受けましたし、少なからず不満に思う部分もあります。今回は、そんないくつかの事柄をお話しすることで、生活する街としての鎌倉をご紹介したいと思います。
 お茶というは、とても深いものです。床の間に花を生けなければなりませんし、掛け軸も読めなくてはいけません。焼き物に対しても目を持たなくてはなりません。そのように、必要な知識の多さもさることながら、所作(お茶を点てるときの動作)やその由来について考えることも要求されるものです。そして私はそういった知識を得るにつれ、お茶が楽しくなってきたのでした。たとえば畳のへりです。茶室の畳はへりが黒い色をしています。子どもの頃はただ「陰気くさい」としか思えなかったものですが、この黒という色は墨の色と同じで、気が散らないという理由があるのです。
 しかし、そういう詳しい話は、実はお稽古ではほとんど教えてもらえないものでした。私でさえ、理由も分からずに所作を繰り返し繰り返し稽古させられるのは苦痛でしたから、今の若い人にはなおさら受け入れられないでしょう
 「なぜこうなんだろう」という疑問は、先生の方から提示して生徒の興味を掻き立てることが、お茶の楽しさを早く分かってもらう近道なのだと私は思っています。
 私は「学校で生徒さんにお茶を教えたい」という希望をずうっと持っていました。あるとき、そんな願いが叶って中学校でお茶式の礼儀作法を教える機会が巡ってきました。まずはお辞儀の仕方から教えたのですが、中にはポケットに手を入れてお辞儀をするような子もいて、まったく一から教えるような形でした。お辞儀のタイミングを「心に中で1、2、3と数えてから頭を上げると丁度いい」とか、「礼儀」をいう漢字を旧字にして分解し、その意味を教えてみたり。いうなれば上手にできるコツや、その謎解き方法を教えるような授業にしたのです。すると、事前に先生から「授業中に歩き回るような子もいるから」と言われていたクラスでも、みんな真剣に話を聞いてくれて、私もとても楽しい時間を過ごすことができるたのです。 これは、鎌倉に長く住んでいることで受けられた「恩恵」のひとつです。鎌倉に住んでいる私が、何か地域に対してできることがないだろうかという考えからしたことでしたが、思わずこちらが素晴らしい体験をさせてもらえた出来事でした。
 最初にも書きましたが、鎌倉にはそんな素晴らしい思いをさせてくれる部分がある反面、不満を感じさせる部分もあります。それは、この街独特の閉鎖性です。鎌倉には茶道連盟のようなものがありません。鎌倉には全国的に名前の知れた著名な大家の方々がお住みになっていらっしゃいますが、その方たち同士の間にも交流がないという証です。茶道の中でもそうなのですから、他の華道や琴、謡曲などとの交流もありません。他の都市の文化祭などでは、仕舞とコーラスのミックス、書道と詩吟のミックス、琴とお花のミックスなどを披露するところもあり、それぞれがお互いのよい部分を際だたせる素晴らしい仕上がりになっていました。ですが、鎌倉では地域の文化祭をするときも、茶道は参加していないのが現状なのです。
 鎌倉は古い街で、道が狭いという特徴があります。そのことも、オープンになりきれない気質を育ててしまっている原因なのかも知れません。東京の人などから「鎌倉ですか。いいところにお住まいね」と誉められることがままあります。そのように言ってくれる人がいるのですから、住人として、そんなイメージを実現する努力を払うべきなのでしょう。そろそろ、私たち住民が「本当の意味での鎌倉の発展」について、どのような方法があるのかを真剣に話し合わなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。事情を知らない外部の人たちから、ただイメージで誉められるだけではなく、住む人が誇りを持てるような、そんな鎌倉になるために。
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