鎌倉にゆかりのある方にお話を聞く…第25回 My 鎌倉
今回のゲスト
大西清治さん(KCN運営理事)
 当ホームページで『鎌倉十橋』『鎌倉七口・坂と切通』を連載なさっている大西さん。土木関係のエンジニアをなさっていたお仕事柄、橋や道などには造詣が深くていらっしゃいます。その専門知識と鎌倉に対する興味が結びついたのが『鎌倉十橋』だと言えるでしょう。そんな大西さんに、時代を超えて鎌倉を楽しむコツをお伺いしました。

「受け継ぐことの大切さと楽しさ」

  今年は源頼朝没後八百年ということで、この町では各種の記念行事が行われています。その頼朝と政子夫人が朝夕目にしたであろう鎌倉の山や海の景色は、実は今日の景色と大差はありません。つまり、我々は、毎日八百年前の景色を見ていることになるのです。私が鎌倉に移り住んできたのは昭和十五年。ご多分に漏れず、学生社会人生活を通して、鎌倉はただ寝に帰るだけの場所でした。が、仕事が一段落した7年ほど前から「私は鎌倉について、何も知らないではないか」という気持ちが私の心に生まれました。その頃、有名な鎌倉在住の先生方が吾妻鏡や、鎌倉の歴史と伝承ということに関して月に1回ずつお話しされるという講座がありました。そこに参加する機会を得たことから、少しずつ昔の鎌倉のことを勉強するようになった訳です。先にも触れましたが、鎌倉はあまり大きな変化もなく過ごしてきた町です。幕府が移ってからはただの寒村でしたし、江戸時代には一部の人々が遊山にくるくらいの観光地でした。明治以降から二次大戦後までは要塞地帯として、やはり大規模な変化を免れてきました。ですから、鎌倉はほぼ昔のままの地形を持っているのです。鎌倉が変わらなかった理由の根幹に、頼朝の都市計画があります。頼朝が石橋山での敗走のあと、再び房総を経由して大軍を引き連れて鎌倉に入ってきたとき、はじめに辿り着いたのは今の材木座の元八幡様でした。余談ですが、当時はそのあたりを鶴岡と呼んでいたそうです。その後、今の場所に八幡様を移し、地名もともに持ってきた頼朝は、そこから海に向かってまず若宮大路を整備しました。頼朝の都市計画は、道を造ることから始めたのです。頼朝というのは道を造るのが大好きだったらしく、吾妻鏡には道の屈曲を直したという記述が多く見受けられます。部下の偽証が発覚したときも、その罰に道路の整備を命じたくらいでした。そのときにある程度決められた道路の骨格が、今の町の形態そのものを作っている訳です。このように、鎌倉は地形も道も、その呼称すら、昔のままに残されている町なのです。町全体がさながら歴史博物館の様相を呈していると言るでしょう。ですから、私は道端の一木一草に至るまで、歴史のロマンを感じずにはいられないのです。一方、由緒ある地名をはじめとして史跡の一部が近年になって次第に失われつつあるということも事実です。八百年間も受け継がれてきた町の遺産を、少しでも損なうことなく後世に伝えることが、我々住民の責務であると私は考えます。そこで、微力ながらインターネットのホームページ等を通じて、史跡などを歩いた記録を紹介し始めたのです。有名な地名では、私の住んでいる材木座には吾妻鏡にも記述がある乱橋という地名がありました。元禄時代には乱橋と材木座のふたつの村に分けられていましたが、その後は何度か変遷が有りました、最近までは乱橋材木座と云われていました。戦後の住居表示の一新のために乱橋をとり材木座に変えてしまった訳です。その土地にどんないわれがあるのか、どうして新しく地名が変わったのか、そういう歴史の流れがふっつりと途切れてしまった形になっています。  史跡では、鎌倉時代に作られた道路や港湾などの土木遺構(現存する土木構造物の遺跡)に目をとめていただきたいと思います。頼朝の鶴岡八幡宮の移設から始まる都市計画や、北条時代の和賀江島の築港など、土木遺構といってもその範囲は広いものです。しかし、その中でも最大の遺産は、鎌倉の三方を囲んだ山に構築された切通と、それに関連して造られた防御施設である切岸です。ひとつひとつを挙げて説明するのは別の機会に譲るとして、名越、朝比奈、大仏の三つの切通は、特に往事の雰囲気を今に伝える場所だといえるでしょう。私なら鎌倉時代の建設技術の水準の高さや、古い文献を当たって名前にまつわる来歴を思い起こし楽しみながら歩きます。訪れた人にはそれぞれの楽しみ方があってもいいはずです。しかし、これらの土木遺構には、確かに過ぎていった時間を感じさせる何かがあるのだと思います。鎌倉は、一時間も歩けば隣の町に出てしまうような小さな町です。いつもは通り過ぎてしまう小道にも名前が残っており、そこここに八百年立ち続けている遺構があります。そんなことを心に留めて、散歩してみてはいかがでしょうか。私のホームページでの原稿が、その案内図になれば幸いです。
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