第86回 My 鎌倉   logo1
今月のゲスト

 金井 勝政さん

(鎌倉リトル陸上クラブ代表)

[2015.7.30}
金井勝政さん

かないかつまさ さ んのプロフィール
昭和19年(1944年)  鎌倉市に生まれる。
昭和42年(1967年)  日本体育大学卒業、大和市立渋谷中学校の教員になる。
昭和49年(1974年)   鎌倉市立腰越中学校へ異動。
昭和64年(1989年)   教育委員会 教育研究所へ。
平成 5年(1993年)  9月より鎌倉市立手広中学校 校長になる。 
平成14年(2002年)   鎌倉市立玉縄中・深沢中をへて腰越中学校へ異動。
平成16年(2004年)   教育委員会 保健体育科嘱託。
平成22年(2010年)  鎌倉市陸上競技協会理事長に就任。 
平成24年(2012年)    鎌倉リトル陸上クラブ発足。

鎌倉
 
 鎌倉市十二所に生まれ第二小学校・第二中学校から、横浜高校そして日本体育大学体育学部体育学科へ進学し卒業、神奈川県の教員採用試験を受け保健体育の教員になりました。勤務の都合で一時期鎌倉を離れましたが現在に至っています。大和市の勤務を含め38年間にわたって教鞭を執り、陸上部の指導にも当たりました。



陸上への思い

 中学の時は市の大会の3000メートルで後ろから2番目でした。3年秋に屈辱を感じ陸上をやりたいと思うようになり、陸上が強かった横浜高校を受験し本格的に始めました。
牛乳配達をやったり、みんなが寝ている間に練習したりしました。最後の最後にやっとレギュラーになりました。 鎌倉で開催された関東高校駅伝を走り2つの大学から誘いを受けましたが、6人兄弟の長男だったので、高校卒業して就職するものと思っていました。大学から誘いを受けたと父に相談したところ、遠い大学は無理だが “走ってみろ!”と学費だけは用意してもらいました。日本体育大学体育学部体育学科へ進学し陸上に明け暮れました。
両親を喜ばせたいという気持ちで、とにかく負けられないと頑張り、大学2年からレギュラーになり箱根駅伝にも第41回、42回、43回の3回出場しました。
印象に残っていることは、大学3年の時、日体大が優勝できるチャンスでしたが、エースが怪我をしてしまい、もう一人のエースも事故にあい優勝を逃し総合で3位になり悔しい思いをしました。
その時は120人の部員の中で選ばれた10人であるというプレッシャーで襷がとても重く感じました。全国からの応援や激励があり完走して襷を渡した時はホッとし何とも言えない気持ちでした。
大学を出てから実業団に入るつもりでしたが、教育実習で自分の母校の鎌倉市立第二中学校へ4週間行っているうちに、”先生っていいな”という気持ちが強くなり内定していた会社を辞退して、神奈川県の教員採用試験を受け合格し保健体育の教員となりました。今では先生になってよかったと思っています。
 箱根駅伝 関東マラソン 駅伝
第43回 箱根駅伝 

箱根駅伝
   (動画:ダウンロードに少々時間がかかります)
 関東大学マラソンの写真 (42.195キロ)
37 金井さん
 全国都道府県対抗駅伝
(青森から東京まで
7日間で走ります) 
 報知新聞提供



腰越中学校では
 
 自分の走ってきた経験から『苦しみに耐える・責任を果たす・友達を信じる』この3つは駅伝ですごく培われると信じています。以前、勤務していた腰越中学校で昭和49年に第1回の駅伝大会を開催し、現在もまだ継続されています。昨年第40回大会を迎えました。
警察の方や保護者の協力のもと、腰中グラウンドから片瀬山のコースを走ります。



鎌倉リトル陸上クラブ
 

 陸上はすべての運動の基本となります。少年サッカークラブや少年野球クラブなどは盛んに行われていますが、陸上は中学になるまでやったことがない子が多く、中学へ行っても基本になる動きの“走”を中心に小学生のうちから教えて欲しいということから、この鎌倉リトル陸上クラブを3年前に発足しました。
小学校4年生以上の子どもたちが市内の各小学校から集まってきています。
手広中学校のグラウンドを借りて毎月第2、3、4土曜日の午前中2時間活動しています。準備は私を含めスタッフ5人で行います。活動終了後のグラウンド整備は子どもたちと一緒に行っています。
内容は“走る”を中心に瞬発力を養うための、ストレッチ・スキップ・ウインド・腿上げ・小刻み・ダッシュなどです。他でサッカーやテニスやバレーや体操などをやっている子もいます。
自分でやりたくて来ている子たちなので非常に動きもよく熱心でいうことを聞かない子などいません。
子どもたちはかわいく孫のようです。

手広中学校グラウンドでの練習風景

 練習風景



これから・・・ 
 
   今、はまっているのが中学校の校長仲間で行く渓流釣りで山梨や福島や秋田などに行きます。
これは一生続けたいと思います。以前は小田原や西伊豆などでいのしし撃ちを40年以上やっていましたが、数年前にやめました。それからはもっぱら渓流釣りです。
友達

あと畑に夢中で、さといも、いんげん、じゃがいも、豆、トマト、キュウリ、ナス、おくらなど毎日収穫して食べています。
最近は山が荒れてきていて残念ですが、いいこともあります。十二所の山に入るとくぬぎやナラなどの倒れた木からシイタケが自然に生えていたりします。

私は山芋堀を得意としています。
10月終わりから11月にかけ秋になると山の中で山芋を探し当て、掘り出します。父から教わったのですが、雑木林のつるやひげをたどって、落ち葉の下を探し山芋を掘り出した時の優越感は何とも言えません。
自分の子どもには教えられなかったのが残念ですが、孫には教えたいと思っています。
                         クリックすると大きくなります。→
山芋堀



編集後記

 
鎌倉リトル陸上クラブの練習風景を取材させていただいた日は6月下旬でしたが、とても梅雨真っ最中とは思えないようないいお天気でした。基本練習ということで、スキップ・ウインド・腿上げ・小刻み・ダッシュなどグラウンドで練習する子どもたちも金井先生も暑い中、いい汗を流していました。
本当に楽しそうに活動されているので、ますます、陸上が好きになるのでは・・・と思いました。中学校に進学してからの活躍が楽しみです。この中から将来、世界に羽ばたく選手が育つことを切に願っています。



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