第71回 My 鎌倉   logo1
今月のゲスト

高田 晶子さん

「鎌倉を美しくする会」代表

[2011.11.30]
      
高田晶子さん

たかだ あきこさんのプロフィール
昭和11年6月 熊本市で生まれる
昭和35年 和洋女子大家政学部生活学科卒業
昭和35年〜38年 熊本市尚絅短期大学家庭科生活化学研究室助手、尚絅高等学校非常勤講師
昭和59年〜平成4年 鎌倉市立西鎌倉小・深沢小・大船中教諭・腰越小栄養士などを務める。
ボランティア歴
昭和49年4月〜平成元年3月 「市民モニターの会」会員
昭和60年9月〜平成15年7月 「高齢社会を考える会」副代表
昭和63年1月〜 「鎌倉を美しくする会」代表
平成3年6月〜平成10年 鎌倉ホームへヘルプ協会「ベルの会」献立栄養計算担当
平成8年4月〜平成17年5月 NPO法人「鎌倉リサイクル推進会議」理事長
NPO法人「鎌倉リサイクル推進会議」会員
平成11年7月〜 「キープ鎌倉クリーン推進会議」代表
鎌倉市委嘱委員歴等
平成6年5月〜平成8年1月 「鎌倉市廃棄物減量化及び資源化推進審議会」委員
平成9年1月〜平成11年7月 「鎌倉美化ワーキンググループ」メンバー
平成9年8月〜平成17年5月 「かまくら環境保全推進会議」委員
平成15年12月〜 「違反屋外広告物除却協力員」
平成23年8月19日 鎌倉市環境教育アドバイザー登録
平成23年9月 [鎌倉市まち美化推進協議会」委員
             (*:は現役)


私からのメッセージ

◆きれいな街が心地よい。ごみを拾って40年。仲間のひろがりを願って・・・

本活動のきっかけは引っ越しでした。東京のマンションに住んでいた頃のごみ処理は、ダストシュートに入れるだけでおしまい。子供も生まれ手狭になり、昭和46年に引っ越して来た鎌倉市は、全国に先駆けてごみの3分別(燃やすごみ、燃やさないごみ、粗大ごみ)がスタートしており、新鮮な驚きでした。日々、生活の中から生まれるごみ。昭和46年に発足した市政モニターには3期生として参加し、ごみ行政の仕組みなどを学ぶ機会も得ました。
時代と共に町中に飲料用自動販売機が増え、道端には空き缶がコロコロ。行儀が悪いとされた食べ歩きも抵抗感が薄れ、石油化学製品の腐らない多様な使用済み包装容器がポイ捨てに。分煙で喫煙者は勢い路上喫煙族になり町中を灰皿代わり。町中には散乱ごみが目立つようになりました。腐らない厄介なプラスチックはごみの質も変えました。狭いエリアにオールシーズン観光客が訪れる鎌倉。散乱ごみの多さと受け皿の現状は深刻でした。
ごみ ごみ
鎌倉駅西口 ごみ箱から溢れた正月ごみ 段葛 置かれたごみ箱が溢れごみを呼ぶ

「家庭からのごみ。路上に散乱ごみ」は避けて通れない環境問題として、きちんと向かい合うことが大切です。これが具体的な活動に繋がっていき、今日に至っています。小学校からずっと、登校前に庭や家の前の道路掃除をするのは、私の仕事でした。「ごみと美化」への関心は、このような原体験が役に立っているのかも知れません。公共の場所も私達の大切な生活の場所、楽しみの場所なのに、自分の家ではしないであろう、ごみのポイ捨て、吸殻の投げ捨てをみると悲しくなります。「まず捨てない、あれば拾う」人達が住むまちは心地よい。だれでも参加できる心根を実践し、伝えていきたい。これからも・・・


<鎌倉を美しくする会>のあゆみ

テーマ「散乱ごみ防止」と「公衆トイレの美化」

活動開始当時(1991年頃)観光客は年間約2200万人。鎌倉市は観光ごみ対策として観光ルートに金網かごを置き、ごみ収集は月曜から金曜日の平常業務で処理していました。観光客が多い土・日曜日、かごからごみが溢れ、周辺には事業系ごみも置かれ、国際観光都市と言うには余りにひどい状況が続いたのです。
ごみ ごみ
鎌倉駅西口:1991年5月7日(火)午前7時 鎌倉駅西口:溢れたごみは歩道にまで散乱
ごみ ごみ
若宮大路:下馬四つ角 いつもこの状態 若宮大路:教会脇 毎日ごみの山が築かれた

まずトイレ。4K(汚い、暗い、臭い、こわい)トイレの改善。冬でも臭う鎌倉駅東口トイレの改修を市に提言し実現。公衆トイレはいつでも清潔であってほしい。そのための標語公募もしました。最優秀標語「次に使う人への思いやり。あなたが光るエチケット」を鎌倉市に提言し、観光マップに採用されました。


◆1989年「ごみ」と「トイレ」の写真展

看板 写真展
鎌倉生涯センター地下ホール 1989年2月21日〜26日 約600人の来訪者

鎌倉市中央公民館地下ホールで1989年2月21日から26日までの5日間開催。デザインも優れた世界のごみ箱と、鎌倉市内のごみ箱やごみマップ。ごみ箱がごみを呼ぶことをアピールし、多くの来場者に問題提起をしました。
鎌倉の公衆トイレは約半数が寺社仏閣にあり、鎌倉市が清掃管理等をしています。「鎌倉市公衆トイレ三十七景」と題し、写真とその所在地を展示。世界の街角公衆トイレも紹介しました。前後してこの時期日本トイレ協会が出来、公衆トイレの関心が高まり、自治体がこぞって質の高い公衆トイレづくりをしました。伊東市は「公衆トイレツアーをすると、市内の観光地を全て回れる。」と云うくらい観光地の公衆トイレ作りに力を注ぎました。当会は鎌倉市に町中トイレ候補地を何度も提言しましたが未だに実現していません。残念なことです。
展示写真
町中のこんなところにトイレがほしい


◆1989年缶飲料のふたを「プルタブ」から「スティオン・タブ」

缶飲料
新聞記事
1990年 缶飲料の飲み口が急速にブルタブからステイオンタブに切り替わった

潔癖な日本人には、飲み口に一旦タブを押し込むスティオン・タブの「構造」はなじまないと言われていましたが、世界の趨勢は、缶飲料のふたが外れないタイプに切り替わりつつありました。
鎌倉を美しくする会は、飲料メーカーに5つの要望をしました。
@プルタブをスティオン・タブ変える
Aタブの面に開け方の説明または刻印する
Bプルタブのタブ入れを自販機につける
CテレビCMでスティオン・タブの紹介や、プルタブ投げ捨て防止の呼びかける
D自販機の横に必ず回収箱の設置する
1990年になって企業のすばやい対応であっという間に切り替わり、要望を出した私どもを驚かせました。@について「私達にも出来ることがある」と市民活動の大切さを実感しました。
→日本で最初にプルタブが採用された理由
@日本人の衛生観念
Aスティオン・タブの特許の問題
なぜ急速に切り替わったかの理由は、業界の社会貢献(CSR)対策で環境問題(プルタブの散乱と野鳥がプルタブを飲み込む事件が多発したため)も少し関係している。
 *海水浴シーズン裸足で歩く砂浜に捨てられたプルタブで怪我などもあります。


◆1994年観光地鎌倉駅周辺の美化問題 懇談会開催後に提言し実現したこと

空き箱放置 掲示板
鎌倉駅地下道: 露天商が常時空き箱を放置 違反行為禁止の掲示が効を奏す
ごみ容器 ごみ容器
1995年6月〜9月ごみ容器6か所設置  365日(月〜金1日2回 、土祝日3回)拠点回収スタート

鎌倉観光の多くは歩く観光。駅から出発して駅に戻るパターンが多く、ごみも駅周辺に集まります。年間2200万人と言われる観光客が出すごみを、17万人余の鎌倉市民の善意だけで解決するのは無理があり早急に行政、企業、市民が取組まねばならないとして、鎌倉を美しくする会は懇談会を開催し、1994年6月28日鎌倉市、江ノ島電鉄、京浜急行電鉄、鎌倉駅表駅タクシー組合、JR鎌倉駅に提言を提出しました。
鎌倉駅西口タクシー乗り場周辺の清掃開始
歩道と車道縁石周辺に吹きたまる、たばこの吸い殻等の問題が解決しました。
江ノ島電鉄、京浜急行電鉄は1995年から車内放送で散乱ごみ防止協力お願いの放送が実現し、現在まで続いています。
駅前広場等の路上での物品販売違法行為排除
午後3時以降横浜銀行前での花売り業者が空箱を放置するなど、目に余る行為があり「JR用地内での物品販売等の禁止」の高札が鎌倉駅長・鎌倉警察署長名で表示され、違法行為が影をひそめました。
駅周辺のごみ箱改善「捨てる」から「入れる」分別ごみ箱と拠点回収実現
1995年6月、鎌倉駅東口、西口、滑川、北鎌倉2か所、大船駅東口の6カ所に、分別ごみ容器が設置され、民間委託で平日2回、土日祝日3回の拠点回収がスタートし、何時もごみで溢れていた観光ルートの網かごが撤去されました。分別ごみ容器はかなりくたびれていますが、今も現役で使われています。


◆違反広告と屋根型ビラーボックス


ビラ―ボックス ビラ―ボックス
(左)若宮大路(右)芸術館通り 屋根型は景観良く散乱ごみ防止にも一役

1990年代、街中の性風俗、ヤミ金、不動産関係の違反広告が凄まじく、公衆電話ボックス、電柱が無断で使われ、貼り紙・立て看板が横行しました。NTT藤沢支店、東京電力藤沢支店の担当者とその対策について懇談会を持った折、東電の方に「電柱の地中化で歩道にある設備が屋根型だと上に空き缶などのごみが置かれない。」とお話ししたところ、工事が終わっていた若宮大路と芸術館通りのビラーボックスの一部に屋根が取り付けられました。今、小町通りの電柱地中化工事が行われていますが、屋根型を提案すればよかったと残念に思います。NTTから発行してもらった「公衆電話巡回管理者証」の身分証明を携帯して、テレクラ、サラ金のチラシも貼られたら直ぐ剥がす実動で、随分環境浄化に役立ちました。現在は鎌倉市から委嘱を受けた私を含め会員3人が、「違反屋外広告物除却協力員」として活動を続けています。



◆1996年〜ポイ捨て防止条例制定をめざして 2001年成立

シンポジュウム フォーラム
1996年川崎・横浜の条例に学ぶミニシンポジウム 1999年美化市民条例制定を目指したフォーラム

三古都のうち、いち早く1982年散乱ごみ防止条例を制定したのは京都です。町中に飲料用自販機が増え空き缶の散乱が目立つようになり、空き缶デポジット導入を模索。飲料メーカー、製缶メーカーを含む多くの企業が「京都市環境事業団(現在京都市のまち美化推進事業団)」を立ち上げ、京都市も活動費を一部拠出してまち美化をサポートする仕組みが出来ました。京都市の人口約150万人に対し観光客約4千5百万人/年、鎌倉市は人口約17万人に対し観光客約2千万人/年。観光客30人/京都市民1人当り、観光客117人/鎌倉市民1人当り。鎌倉市民は京都市民の4倍観光ごみ処理を担っており、鎌倉を美しいまちとして維持するには多くのサポーターの協力を必要としています。鎌倉にもこのような方策が出来ることを願ってはいるのですが・・・
観光資源に恵まれ四季を問わず訪れる人々が出すごみが散乱ごみになっている現状に対する施策が必要でした。「条例で街がきれいになるのか?」とよく言われます。条例が出来れば担当窓口が出来、予算がつき、条例の実効性を高めるために行動計画がつくられ、計画を実施するための活動がスタートします。鎌倉を美しくする会は、既に美化条例を施行していた川崎市・横浜市の担当職員を講師にお招きし1996年6月「ポイ捨て防止条例を考える〜実施自治体に学ぶ」ミニシンポジウムを開催しました。条例づくりに深く関わるようになったのは、担当職員の方の一言でした。「鎌倉市が条例を作ることは出来る。しかし実効性の高い条例にするには、市民のお知恵を頂きたい。」協働事業の走りともいえるスタートでした。その後条例づくりを推進するために環境保全団体も参加して、新たに発足したキープ鎌倉クリーン推進会議のメンバーとして参加し、様々な活動を積み重ね、担当職員の支援を得て2000年10月「みんなでつくる美しい鎌倉市民条例案」を鎌倉市に提言。

クリーンかまくら条例制定の経緯
1997年1月 鎌倉美化ワーキンググループ発足
4者が美化条例について継続的に検討
(鎌倉を美しくする会、鎌倉市民同窓会、C.O.P. 、市担当部署)
注:C.O.P.は神奈川県相模湾でビーチクリーンアップ活動をしているボランティアグループ
1998年4月 鎌倉市環境美化条例の制定等について市長に要望
1998年8月 第1回市民フォーラム呼びかけ人会議開催
(66団体に依頼、31団体から賛同の回答、内18団体が参加)
10回に亘りフォーラム実行委員会開催 実行委員長:高田晶子
1999年1月 アダプト・プログラム第1号(モデル実験)実施
1999年6月 市民提案による鎌倉市美化市民条例の制定を目指した「市民フォーラム」開催(条例案については市民サイドで更に検討を加えることになる)
1999年7月 キープ鎌倉クリーン推進会議発足 代表:高田晶子 
(フォーラム呼びかけ人の会に市民フォーラム個人出席者が活動参加)
1999年6月〜1999年9月 条例ワーキンググループが市職員のアドバイスを得て試案を元に検討
1999年10月 キープ鎌倉クリーン推進会議から市長へ美化市民条例案を提出
1999年3月 「みんなでごみの散乱のない美しいまちをつくる条例
(通称クリーンかまくら条例)」制定
アダプト・プログラムとは、「市民と行政が協同で進めるまち美化プログラム」のことです。2011年10月現在アダプト・プログラムは9団体、色々なスタイルで街の清掃をする人達の層も厚く広がっています。このような経緯から、私はまち美化2団体(鎌倉を美しくする会、キープ鎌倉クリーン推進会議)の代表を務めています。


◆2004年7月「落書き防止条例案」を鎌倉市に要望 同年12月成立

落書き消し 落書き消し
2006/8/26 七里ガ浜海岸擁壁消去 2008/1/6 店の了解を得て落書き消去

21世紀になって驚く勢いで市内に落書きが蔓延しました。2002年落書きNO!の街づくりに取り組んだものの、消し方も分からず、既に活動を開始していた平塚をみがく会の指導を受け、同会の会員でもある事業所からのご好意で、消去剤を分けて頂き、キープ鎌倉リーン推進会議会員として活動がスタートしました。2009年から、鎌倉市との協働事業「落書きのないまちづくり」に取り組んでおり、毎月作成する報告書の蓄積で、常習者を特定するまでになりました。犯行は10年以上にわたり、落書き被害は相当額になります。今年3件被害届も出ていますが、未だ逮捕に至っていません。鎌倉を含め近隣の自治体にとって緊急の課題です。



◆1999年花火大会散乱ごみ防止の特設ごみ箱とトイレの増設を提言し実現


新聞記事
新聞記事
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特別行事に伴うごみとトイレ問題について、1999年5月鎌倉市観光協会、鎌倉市担当課と懇談会を持ち、6月ごみステーション方式と候補地を添え提言に纏め、鎌倉市と観光協会に提出しました。早速8月の花火大会に提言が活かされ、5か所のごみステーションとごみの4分別方式が実現。トイレも仮設の増設と鎌倉体育館等の施設開放が行われました。思えば、2000年以降、散乱ごみ防止啓発スタッフとしての活動は10回を数えました。毎回当日の感想と次年度に向けた提言を提出し、より良い改善を目指しています。



◆2002年〜バス停ベンチ美化活動

ベンチで憩うまちづくりと今後の活動10年にも及ぶこの活動は当会ホームページで紹介しています。
2003年11月、「5口の支援者を募ってバス停にベンチを置く。違反ベンチは市が処分する。」画期的な活動をメディア発表しました。3日後の神奈川新聞の1面トップに活動が大々的に紹介され、度肝を抜かれるほど驚き、ことの重大さに身の引き締まる思いでした。

バス停ベンチ バス停ベンチ
円覚寺前バス停(2003年7月設置前) 円覚寺前バス停(2004年7月設置後)

2011年11月現在、67カ所のバス停に76台設置、違反ベンチを173台撤去しました。現在全て現役で、地域に必要とされています。バス停ベンチは、バス利用者だけでなく、街歩き、買い物帰りの一休み、散歩の高齢者にも活用されるなど嬉しい光景を目にします。当会のWEBを見たと高知から支援金を送ったくださった方など、多くの支援者に支えられ、地域に役立っているこの活動は、今も継続中です。何よりも違反ベンチが置けなくなったこと、ルール違反のベンチを業者が置いても行政の指導で撤去せざるを得ない状況が定着しました。鎌倉市の景観の質も向上し、活動に携わった私のメモリアルベンチとなりました。これからもベンチの寿命を長らえるべく、維持活動に力を注ぐ予定です。



<鎌倉を美しくする会>ホームページ

鎌倉を美しくする会
《鎌倉を美しくする会》発足(1988年)と、その活動内容は「鎌倉を美しくする会」ホームページに掲載又日頃の活動実態は「活動報告ブログ」でお伝えしています。

ホームページ制作など、私には縁のない世界だと思っていました。 しかしこれからの市民活動には、ホームページが欠かせないとおぼろげながら思っていた矢先、「NPO法人 鎌倉市市民活動センター運営会議・広報部会」が市民団体をサポートするために、「HTML講座」を企画されていると知り、2008年10月思い切って受講しました。
講師は広報部会のNさん。落ちこぼれの私を根気強く指導してくださり、2009年5月webデビュー! 市民が市民をサポートする 鎌倉市市民活動センター運営会議 に感謝しています。


■これまでしてきたことへの受賞歴

年月日 摘要 主催者
平成 5年11月26日 環境美化ボランテイアに対する表彰 あき缶処理対策協会
平成 6年10月18日 地域環境美化推進の寄与に対する表彰 食品容器環境美化協会
平成 8年 6月25日 地域活動の業績に敬意を表し金一封 鎌倉ライオンズ
平成 8年10月29日 リサイクル推進の優れた実績功労を表彰 リサイクル推進協議会
平成11年10月21日 リサイクル推進の優れた実績功労を表彰 リサイクル推進協議会
平成13年 6月29日 地域の美化と美化思想啓発の成果を表彰 神奈川県横須賀三浦地区センター所長
平成15年 3月18日 鎌倉駅前美化による交通道徳の高揚に寄与 交通協会神奈川新聞社
平成17年10月22日 表彰式
第18回神奈川地域社会事業賞受賞

表彰式に出席しました。自主的な取組を通して長年地域に貢献している、市民レベルの活動団体が対象で 、副賞30万円が贈られました。栄えある賞を貴重なベンチ設置資金として使わせて頂き、ステッカーに記念のメッセージを添えました。
神奈川新聞社
平成23年 11月3日 受賞
平成23年度鎌倉市政功労者賞受賞

鎌倉市政の日に23年の長きに亘った 活動が評価され、環境保全賞を頂きました。1988年国際観光都市と云うにはあまりひどいまち中の汚さ、トイレの臭い、観光ルートに近い二階堂に住み、外国生活を経験された初代事務局長斎藤繁さんは、何とかしたいと鎌倉を美しくする会を立ち上げ、折も折、代表には古稀を迎え全ての役職を退き、これから 余生をのんびりと思っておられた平田胤幸さんをお迎えして発足しました。お二人とも鬼籍に入られましたが、その思いは今に受け継がれ、まち中のそこここに塗り込められており、愛着ひとしおです。
鎌倉市


これからの活動

2009年10月、宇治の平等院に行った時のこと。世界遺産に登録された鳳凰堂は千年の時を感じさせないほど美しく、その佇まいに感動。お堂の周りには玉石が敷き詰めてあり、ふと見るとその玉石を一つ一つ持ち上げ、小さな草を抜いている人に気がつきました。気の遠くなるような作業!名もない人々が営々と守ってこられた象徴のようにも思え、歴史の重みを改めて感じました。守り継ぐことの大切さ。鎌倉も時代の荒波にもまれながらも先人が守ってこられた歴史遺産、風土があります。より良い形で次世代に引き継げるよう、これからも達成感を味わいながら、まち美化、まちみがき活動にかかわってきたいと思っています。


■ リンク集
鎌倉を美しくする会のホームページ
鎌倉を美しくする会の支援協力関係先


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