第62回 My 鎌倉   logo1
今 月のゲスト


児島 百代さん


鎌倉合唱連盟 理事長

[2009.06.23 ]

  児島百代さん

こじま ももよ さんのプロフィール
昭和 7年(1932年)東京生まれ。
昭和30年(1955年)
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、同年 北鎌倉女子学園教諭
平成10年(1998年)北鎌倉女子学園定年退職
現在、鎌倉合唱連盟理事長・ 鎌倉音楽クラブ顧問。大船混声合唱団・西鎌倉混声コーラス・カトリック雪ノ下教会聖歌隊・クール百音等の指揮者



■ 北鎌倉に住んで50有余年

1932年東京に生まれ、 港区立青南小学校卒。中学1年のとき、空襲で自宅焼失、その後中目黒に住み、都立駒場高校卒。1955年東京藝術大学音楽学部声楽科卒業 と同時に北鎌倉女子学園教諭となり2年間東京から通勤しました。北鎌倉は緑にめぐまれ、のんびりした雰囲気が気に入りました。父母が高齢だったので、静かな土地に住まわせたいと思い、1957年畠 を分譲してもらい新築移転しました。1975年母の介護のため大きく建てなおして現在に至っています。

毎朝、カラスが2羽挨拶に来てのどかな1日が始まります。
(JR北鎌倉駅)
北鎌倉駅


■ 音楽との出会い

ピアノについては、家 に小さなオルガンしかありませんでしたが、小学校4年生のときバイエルなど基礎を習い始めました。 5年のとき戦争が激しくなって中断し、中学1年5月、自宅も学校も空襲で焼失しました。 戦後、中学2年から声楽を習い始めた関係で副科ピアノが必要となり、高校1年のときツェルニー30番から再開しました。ピアノが買えなかったので、知人宅 や学校の備品を放課後に借りたりして練習に苦労しました。藝大受験には副科ピアノも一応ソナタが弾けるようになりましたが、ピアノを買えたのは 大学4年のときでした。

声楽については、12歳年上の姉の影響で幼いときから歌は大好きでしたが、当時はやっていた童謡歌手の発声には向かなかったので、独唱させられたことはありません。でも詩が好きだったので、選ばれて 講堂のステージで朗読したことはありました。中学に入って、母から声楽を勉強してみたらとすすめられ、中学2年のとき、 四家文子先生のレッスンを受ける機会にめぐまれました。 コールユーブンゲンを少しでも間違えると厳しくしかられるので、練習は念には念をいれました。

専門教育を受けるようになってからは、多くの先生方のご指導をうけました。また、先輩の中村浩子先生には北鎌倉女子学園を紹介していただき大変御世話になりました。

1963年ヤマハホール、1969年東京文化会館小ホールでソプラノリサイタルを行いました。 同年ベルリンに半年間留学。帰国後県立音楽堂及び藤沢市民会館の推薦リサイタルに出演しました。 1992年鎌倉生涯学習センターホールで還暦リサイタルを行いました。 2009年11月喜寿を迎えるに当たり、3ッの合唱団の合同演奏会を準備中です。


■ 北鎌倉女子学園中学校・高等学校の思い出
1965年北鎌倉女子学園に在職10年目(32歳)のとき 中学音楽コース、その後1968年高校音楽科を設立し、その後音楽主事となりました。

音楽コースの設立趣意書は恩師のご指導を得て自分で作成しました。果たして生徒さんが集まるかどうか不安だったので、 初年度は中学用の設備として練習室を確保し、アップライトビアノ10台を購入し、少人数の講師にお願いしました。 翌年からソルフェージュやピアノの専任講師を増やしました。 高校の音楽科が始まると、グランドピアノを追加し、音楽専任や講師を増員するとともに、 音楽校舎を準備していただきました。

音楽コース案は神田清信校長先生に納得していただき職員会議に諮りましたが様々な議論がありました。 最終的には理事会の支持を得て、開始することができました。当初は知名度が低かったので、 田村 宏先生や野村光一先生を顧問に迎え、特に田村 宏先生には小中学生のための公開レッスンをして頂きました。 その後、音楽コースは学園の特色ある科目として世間に認知されるようになりました。

小学生の頃から合唱が大好きだったので、在職中は高校コーラス部を率いて合唱コンクールに毎年出場し、 全国大会にも4回出て銀賞を受賞するなど声楽・合唱の教育指導に努めました。



(北鎌倉女子学園
北鎌倉女子学園



鎌倉合唱連盟
鎌倉市内には合唱団体が大小51団体あり、「鎌倉合唱連盟」を結成しています。以前から 大船混声合唱団やグロリア少年合唱団などの指揮を通じて合唱連盟の活動に参加はしていたものの、 在職中は本務が多忙で合唱連盟のお手伝いはできませんでした。前理事長の蓑田良子さんの推薦もあり、退職後理事長をお引きうけしました。

鎌倉合唱連盟加入団体は年々多くなり50団体を超える大所帯となりましたが、副理事長や事務局長がとてもしっかり運営して下さっているので行事もスムーズ に運んでいます。年間行事として、夏に合唱連盟定期演奏会、秋に鎌倉市民文化祭の中で市民合唱祭、又その間に合唱に関連した講演会、有名な合唱団の招待演奏 会等研究的な行事も実施してお互いに勉強しています。


鎌倉市民文化祭企画委員として

2008年9月20日小町の 鎌倉生涯学習センターで開催された市民文化祭のオープニング・イベントに参加し、指揮を担当しました。
  • Let's Sing Kamakura  (鎌倉市歌と唱歌「鎌倉」)
  • ディズニーを混声で歌おう
2009年9月19日(土)には上記と同じようにオープニングイベントを開きます(市民自由参加です)。
  • Let's Sing Kamakura  (鎌倉市歌と唱歌「鎌倉」)
  • 歌おう!ウィンナワルツを日本語で


■ 市民合唱団体の指導

(大船混声合唱団)
(西鎌倉混声コーラス:2009年)
大船混声合唱団 西鎌倉混声コーラス


■ クール百音(もね)


1998年音楽の道に進んだ教え子達をバックアップするため「百音の会」を結成、 コンサートを企画運営しています。

クール百音は「百音の会」会員の教え子達を集め、北鎌倉女子学園コーラス部OGを中心にした音大卒のプロがほとんどの女声合唱団で、結成以来5年間指揮してきました。 磨かれた声と読譜力で高度な曲にも挑戦して歌いこなし、一方ミュージカル、 映画音楽などポピュラーなコーラスにも魅力を発揮しています。

結婚・出産・就職・転勤・ソロ活動等女性の若い人なりの身上の変動が激しいので、 メンバーの確保、練習など難しい面も多いですが、赤ちゃんを抱いたり幼児の手を引いたりしながら練習に励んでいる方もいらっしゃいます。

(指揮)
(発表会)
指揮者児島百代
クール百音


クール百音の歩み
2004年 6月 「クール百音」結成
2005年  6月 第1回コンサート公演(横浜みなとみらい小ホール)
2005年  9月 全日本合唱コンクール関東大会にて金賞(高崎)
2008年  6月 第4回コンサート公演(横浜みなとみらい小ホール)
2008年 10月 百音の会主催「グランドコンサート」に栗林義信氏・三林輝夫氏とオペラ合唱等で共演(鎌倉芸術館)
2009年 6月 第5回公演。朝比奈宗源師に般若心経を読んでいただく新しい取り組み。


■ 趣味など


国 内、国外を問わず旅が好きです(ドライブも)。10年前ケニアにサファリドライブに行って病み付きになり、5年前もそして今年(2009年)5月3回目の ケニアに行ってきました。犬・猫・馬何でも好きですが特にライオンが好きで富士サファリパークに行ってはライオンの赤ちゃんを抱かせてもらっています。キ リマンジャロを背景にした象の大群、大草原のやぶの中からぬっと現れるライオンの家族、サファリカーの上からわくわくして眺めています。動けるうちにもう 一度行きたいと願っています。

(高原にて)
(草原のライオン)
(象の親子)
高原にて ライオン 象





■ 児島惟謙

中学3年生の社会科の教科書に登場する、大津事件当時大審院長だった児島惟謙(こじまこれかた)は祖父です。 関西大学法学部には児島惟謙館があり、2008年10月没後100年記念シンポジウムが行われましたが、 直系の孫として招待されました。 幼いころ、両親からは「おじいさまの名に恥じないようにしなさい」と諭された記憶があります。 なお、愛媛県の銘酒に「児島惟謙」がありますが、蔵元の緒方酒造は祖父の実家です。
児島惟謙 像:関西大学)
(緒方酒造)
児島惟謙 緒方酒造


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