第49回 My 鎌倉  
今月のゲスト

 

上原 ふみ子さん


鎌倉生涯学習指導者の会代 表として、
また華道、創作造花活け花の世界で、
自分のため、人のため、出来ることなら何でもしてあげたい。


[06.5.9 鎌倉生涯学習センターにて]


上原 ふ み子さんのプロフィール
1924 年8月横浜生まれ。鎌倉生涯学習指導者の会代表、横浜華道協会代表理事、千家古流一陽会總目代、サクラオリジナルフラワー(創作造花活け花)大師範、財団法人 日本いけばな芸術協会会員など



■元気で活躍できる源

私は、人間大好きでどんな人にもすぐ仲良くなってしまいます。一方努力するようにもしています。それぞれの人の長所を見詰めて集まりの輪の中に参加してい ます。
氏神様の祭礼の宵祭りに生まれたこともあり、少なからずお祭りが好きだからでしょう。

常に腹を立てず笑顔で毎日を明るく、人の喜びは自分の喜びと、健康に気を付け前進したいと願っています。欠点は人を疑うことを知りません。

鎌倉市材木座に在住、40有余年2男1女と3人の子供は健康に恵まれ幸せな生活を送っています。
人々の幸せになれることへお手伝いが出来ることを願っています。

その活動の源は
 ◆ 「知っている」ことは何でも聞いてください・・・死んであの世に持って行かれないから。
 ◆ 「出来る」ことなら何でもしてあげたい。
 ◆ 元気で自分の為、人の為に楽しいことを続けたい。
 と常に心がけて、行動しています。

現在「鎌倉生涯学習指導者の会」での活動している内容及び「いけばなへの思い」を次の通り紹介いたします。

■鎌倉生涯学習指導者の会

この会は、 現在会員登録者数約250名となりました。
市生涯学習指導者登録事業が発足してから今年は11年目を迎えました。鎌倉市の要請を受け事業の活性化を図ることを目的に「鎌倉生涯学習指導者の会」とし て活動を推進しています。
この活動の柱は、
 ◆ 生涯学習についての相談ならびに指導者の紹介に関すること。
 ◆ 会員相互の情報交換と親睦強化に関すること
です。
年度毎に「指導者の紹介(教養セミナ−)」と「会員相 互の情報交換と親睦(ふれあい広場)」の二本の柱の実施スケジュ−ルを定め活動を推進することをまとめています。
活動 分野は
 ○教育  ○人文・社会  ○自然科学
 ○産業・技術  ○芸術・文化・芸能  ○健康・スポ−ツ
 ○家庭生活・趣味  ○市民生活・国際関係  ○その他・・・・・・
と巾広く活動を実施しています。



「鎌倉生涯学習指導者の会」運営のメンバー

この会の運営の為に、分野毎に世話人を儲け、代表・副代表・教養セミナ−担当・ふれあいひろば 担当・事務局を選び、総ての運営を行っています。
まとめるには、関係者のチ−ムワ−クが大事なポイントです。
ここまで育てる為の活動・指導等に時間・工夫を重ねてきました。
この会の運営の為会費として関係者より集めていますが、運営資金の念出に苦労してきました。
これも計画・企画してきた実績により活動効果を生むことが出来ました。
これも皆様の支援・協力があつて実現するもので感謝しています。
指導者の紹介の為に、各生涯学習センター、御成小多目的ホ−ル、手広中多目的ホ−ル、今泉小多 目的ホ−ル、明月荘、吉屋信子記念館等で「ふれあいの広場」「教養セミナー」を実施しています。
これらの内容は、鎌倉朝日をはじめ各タウン紙、市の掲示板、鎌倉ケーブルテレビ、その他広告等により多くの市 民へご案内をしています。
又きらら実施イベント及びNPO実施イベントにも会として積極的に参加しています。
指導者は市内に限らず、市外の方も多く、各種事業のたびに参加者も年々多くなってきました。活 動毎に多数・大勢の参加入場をみると会の関係者・世話人一同笑顔と共に次回も又頑張ろうと元気が出ます。
益々、生涯学習指導者登録メンバ−の活躍を期待しています。



平成18年2月実施したふれあい広場:会員の熱演の様子

■私のいけばな


子供の頃からお花大好き、町の染物やさんのウィンドウに何時も格好よく活けてある花を眺めていました。昭和16年から稽古に入り、嬉しくて週2回も 稽古に通いました。

戦争が激しくなり連日の空襲に食糧も花も街中から総て消えました。昭和20年結婚し、東京横浜とニ度の空襲の直撃で丸焼けとなりましたが、翌年の21年 夏、相模原に家を買い求め田舎暮らしが始まりました。
何もない生活でしたが家の廻りには畑があって花が咲いていて道端にはタンポポやペンペン草が可愛く美しく咲いていて、苦しい毎日でしたが花を活けるのに不 自由はありませんでした。

次々と長男次男長女と3人の子供に恵まれ、舅、小姑、小舅と7人8人の家族に戦争のような毎日でしたがやっぱり家の中の花を飾ることはやめませんでした。
家の近くに千家古流一陽会のお家元が住んでいられ一番下の長女が幼稚園に通い始めた頃からお家元宅に通い始め今日に至っています。

昭和44年4月から20年間神奈川県立川崎北高等学校に華道部教師として楽しい学校生活を過ごし数々の行事に携わり卒業生の結婚式も50人余りに招かれ、 やがて子供の出産祝にデパートのベビー用品売場の店員さんと顔馴染みに嬉しい悲鳴。
やがて夫の病篤く止むなく退職させて頂き、すべての教室を閉め看護に専心しましたが13年間の病闘の甲斐もなく逝って仕舞いました。

現在は気ままな教室と華道協会の華展、神奈川県華道協会展、財団法人日本いけばな芸術協会展その他の花展に出瓶しています。
懐かしいことは高校生在学中に華道部の生徒を海水浴に毎年泊りがけで遊ばせ食事に大賑わいでお母さん、先生と二役で高校生活の中の一つの楽しい思い出を 作ってあげられたことも私にとっても嬉しいことでした。


◆サクラオリジナルフラワー (創 作造花生け花)

昭和47年家元作品に魅せられ入門以来25年間家元先生とその作品に惚れて学びました。電車の中で 「生花(なまばな)と思ったらお作りになられた花ですか?」 とその都度声をかけられることの嬉しかったこと忘れられません。年1回東京で作品展を催し連日大勢の来場者で賑わいました。

県立高校の先生生徒にも手解きし文化祭の折には来場の父兄の大勢の来場者に生徒が教えて、作ったコサージや花を胸に飾って校内を楽しそうに歩いている様は 忘れられません。

生徒の造花の間に木目込み人形も作って展示しました。結婚式のブーケは結婚した生徒全員に作り喜んで頂けたのも感謝です。
また、新築祝改築祝も自分で作った花籠を持って行き喜んで頂ける自分を幸せと感謝しております。


Copyright (C) Kamakura Citizens Net / Kamakura Green Net 2001 All rights reserved.