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|  境内案内  | 歴史 |
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[ 寺号 ]     飯盛山   青蓮寺 (真言宗)

[ 所在地 ]
     鎌倉から藤沢に向かう県道と大船から柏尾川に沿って鎌倉山方面に向かう道路の交わるところに手広交差点があります。ここから西鎌倉・腰越方面に600メートルほど進むと、青蓮寺バス停があり右手に門やお堂が見えてきます。

[ 青蓮寺の古建築 ]
     山門を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。
|  山門 |
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[ 境内案内 ]

     山門を入ると、すぐ右手に鐘楼、その先に受付や庫裏と立派な本堂があります。
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     本堂には、ご本尊の弘法大師坐像が祀られています。裸の姿で彫られ、それに袈裟をまとったもので、ひざの部分が鎖でつながれ動くようになっているとのことです。そのため、鎖大師と呼ばれています。お寺の呼び名も鎖大師で通っています。

     お寺の伝えによると、この像は9世紀始め嵯峨天皇に献上され、天皇が亡くなったあと奈良の岡寺へ、さらに鶴岡八幡宮から寿福寺に移り、最後にここに安置されたということです。

     ご開帳は年5回、1月21日(初大師、写真下右)、4月21日(大祭)、8月16日(施餓鬼会)、12月21日(納大師)、12月31日(除夜)です。
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     一方、山門から入って左手には、修行大師像と両脇に不動明王、愛染明王が祀られています。
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     その先には、再興された塔頭の手広山寶積院薬王寺の堂があります。
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     お堂の先には、京都の大覚寺の管長になられた先々代のご住職の像や十三重塔があります。
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     本堂の先には、弁天池が整備されましたが、弘法大師が逗留して、修法を終えると青い蓮華の花が咲いたという言い伝えがあります。
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[ 歴史 ]

     お寺の始まりは、819年に弘法大師が関東のあたりを巡礼した際に、鎌倉にも暫く留まったことからといわれています。

     この地で弘法大師が護摩の秘法を始めると、美しい天女が現れ、おそばでお仕えすることを申し出ました。無事修法を終えると、天女はー粒の仏舎利を大師に授けると、たちまち姿を消してしまいました。

     その仏舎利を五鈷に納めましたが、翌朝眼を覚ますと、側の池には青色の美しい蓮華が咲き、よい香りが漂っていたとのことです。      このようなことから、開山を弘法大師とし、中興の開山は善海上人 (1460年没) です。

     4月21日の鎖大師正御影供大際(しょうみえくたいさい)、には大勢の信者のかたがお参りし、小さいお子さんもお稚児さんとして参列します。

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