薬師堂


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(部材の色は、識別のために色を変えています。)


薬師堂について



     桁行き五間 (約 12.9 メートル) 、梁間五間 (各約 11.6 メートル) 、寄棟造りの茅葺で、禅宗様です。

     外側正面は、中央間が約3.8メートル、その両脇間が2.5メートル、両端間が約2.1メートルとなっています。(中央を1として、0.66、0.55の割合)

     正面の中央は、火灯枠の付いた引き戸で、その両脇にも一回り小さい火灯枠付きの引き戸となっています。 また、正面中央の三間の上部には連子欄間があります。外壁は堅板張りを基本としますが、両端間のみは横板張りとなっています。 (小さい写真、左から2番目)

     貫は、下から地覆、飛貫、頭貫が通り、粽のついた柱の上に台輪が載り、そのうえに三斗が載ります。柱の間の詰組みは、禅宗様の通り、中央には二つ、その他は一つで、拳鼻付きの三斗を配します。 (小さい写真、左から3番目)

     内部は、方三間の身舎部分と周囲一間が取り囲み、裳腰付き建築と同じような構造になっています。 (小さい写真、左から4番目)

     外側の柱と身舎の柱を虹梁で繋ぎます。身舎の部分では側面の柱を一本省略し、長い虹梁で繋ぎ、中間に大瓶束を配します。 (小さい写真、右から3番目)

     身舎柱は頭貫とその下の二本の貫で繋がれ、上に台輪がきます。 台輪の上には、重量感のある二手先の組物が、同じく二手先の詰組みとともに配されています。 (小さい写真、右から1,2番目)

     堂の後側は、柱の配置が前面と同じではないために、柱によって上に組物がないという、 珍しいものです。(写真下)


     天井は鏡天井で、二本の梁牌により三つに分かれますが、中央には龍、両脇は雲文が描かれています。

     梁牌は、天井を向いて右側が足利尊氏の書いたもので、左は文和元年(1354) 住持の沙門思淳上人がお寺修造の完成に当たって書いたものです。

     このお堂の歴史は、当初の薬師堂が建武四年(1337)年に火災で消失し、文和三年(1354)に再興されました。そして現在のお堂は、文和に建てられたものをもとに元禄二年(1689)に改築されたものです。

     平面・高さとも一回り小さくなりましたが、文和に建てられたときの部材を多く使っていますので、貴重なものです。