古建築のトップにもどる


|  境内案内  | 歴史 |
写真1 写真2

[ 寺号 ]     普明山法立寺   成就院 (真言宗)

[ 所在地 ]
     成就院へは、江ノ電の長谷駅より高徳院(大仏)や長谷寺とは反対の南へ、海岸の方向に向かいます。突き当たったT字路を右に、極楽寺方面に5分ほど進んで、極楽寺切通の中ほど、左手の高台にあります。江ノ電の極楽寺駅からは鎌倉の中心に向かい、極楽寺切通の中ほど、右手の高台にあります。

[ 成就院の古建築 ]

     山門本堂を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。
|  本堂  |  山門 |
sanmon hondo
 
[ 境内案内 ]
     長谷方面からの入口は石段がですが、除夜につく鐘の数と同じ108段とのことです。振り返り眼下に広がる海岸の風景を眺めながら登り詰めると、江戸時代後期の建立で、重厚な山門が左手にあります。山門に立つと本堂がすぐ先に見えます。 写真3 写真4

     左手には受付があり、御朱印が受けられます。また手入れの行き届いた庭の左手にはソテツが青々と茂っています。
写真3 写真4

     本堂には、ご本尊の不動明王、千手観音・大日如来・地蔵菩薩・弘法大師の各像が祀られています。

     文覚上人荒行の像という珍しい姿の像も祀られています。一木造りの野趣あふれる彫刻で、平安時代の末期文覚上人が自ら彫ったと伝えられています。複製の像が本堂右手前にあります。
写真3 写真4

     本堂の右手には、聖徳太子1300年御忌にあたって造られた夢殿をかたどった石造物があり、「和貴」の額がかかっています。
写真3 写真4

     そこから右に回ると、子安地蔵菩薩が、ついで本尊の分身である縁結び不動尊の立像があり、28日が縁日です。その脇には石造の十三重塔があります。
写真3 写真4

     山門の近くに弘法大師御行脚像が祀られています。 弘法大師の事蹟は全国に広がり、数多くの寺院を建立し仏像を造るとともに、泉・井戸・池を造り、困窮する多くの民を救ったと伝えられています。
写真3 写真4

     普段から信心深い参詣者などがお参りに見えますが、あじさいの咲く季節には特に多くの方が訪れます。


     成就院の道路の反対側に虚空蔵堂があり、成就院が管理しています。 本尊の虚空菩薩ははかり知れない智恵と福徳を人々に施します。源頼朝も敬ったと伝えられています。

     現在は、一月・五月・九月の13日に開帳され、大勢の信者が集まり盛大な護摩供養が行われています。
写真3 写真4

     お堂の前には、舟守地蔵があり、舟の上にお地蔵様が立っている珍しいもので、漁師のかたや海・水に関係のあるかたの信仰を集めています。
写真3 写真4

 
[ 歴史 ]
     お寺は承久元年(1219年)、第三代執権の北条泰時が京都から辰斎上人を招いて建立しました。

     開基泰時は北条一族の繁栄を祈願するとともに、極楽寺切通にあって「泰時の物見寺」ともいわれ当時鎌倉防衛の要衝でもあったとのことです。

     そもそもこの地については、平安時代、弘法大師が諸国巡回の際、この地を訪ね、護摩供養の修法とともに虚空蔵求聞持法を修したと成就院の縁起に記されています。

     虚空蔵求聞持法とは、百日間のあいだ一日に一万遍ずつ虚空蔵菩薩のご真言を唱える修行法で、弘法大師が修行された護摩壇跡に建立したという縁起をもっています。

     新田義貞により鎌倉幕府が滅ぼされた元弘三年(1333年)この地は激しい攻防の戦場となり、戦火で寺は焼け落ち、一時別のところに移りました。

     それでも、室町時代、関東管領足利成氏が毎年正月、成就院住職を御所で接待するほどの格式を誇りました。

     江戸時代、元禄年間 (1688-1703) に祐尊上人がここに往還して再興しました。上人は中興の祖として崇められています。

このページのトップにもどる
古建築のトップにもどる