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|  境内案内  | 歴史 |
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[ 寺号 ]     法久山   上行寺 (日蓮宗)

[ 所在地 ]
     上行寺は、JR鎌倉駅より、若宮大路を海に向かって南下し、下馬四つ角の手前にある横須賀線のガードの手前から左に分岐する道を進みます。橋を過ぎると、右手の下馬四つ角から走る道路に合流します。
     名越・逗子方面に向かい数分進むと信号のある大町四つ角に至ります。さらに直進すると右手に山門や本堂そして上行寺の看板が見えてきます。

[ 上行寺の古建築 ]
     本堂を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。
|  本堂 |
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[ 境内案内 ]
     山門を入るとすぐ目の前が本堂です。

     山門には、龍の彫り物があり、お寺によると左甚五郎の作としています。
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     本堂は、規模は小さいのですが、彫り物で飾られています。明治十九年(1886)に、この先にある妙法寺の法華堂を移築したものといわれています。
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     また、入口のすぐ右手には、瘡守稲荷を祀るお堂があり、できものやいろいろな病気の治癒をお祈りする参拝者がお参りします。そのほかに、薬師堂があり、鬼子母神を祀っています。
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     ここは、万延元年(1860) 三月三日、桜田門外で大老井伊直弼を討った水戸藩の浪士の一人である、広木松之助にゆかりのあるお寺です。

     松之助は幕府の追求を逃れるため僧の姿をして逃れ、最後に鎌倉のこの地に来たとのことです。時の住職道善上人に助けられてとのことです。その後同士が次々と捕らえられ斬られたのを知り、また幕府の追っても迫ってきたため、変の3年後、同じ日三月三日にこの寺で切腹したということです。大正五年(1916)に、海軍大将で男爵の上村彦之丞の筆による「贈正五位廣木松之助之墓」と碑が建てられました。

広木松之助については、後藤哲之助という名前も伝えられていますが、名前を隠すためとか。お墓は水戸の偕楽園の西方の雲流寺にあるとのことです。いっぽう後藤哲之助の碑は南千住小塚原の回向院の、桜田門外の変 処刑者及び攘夷殉難者碑という一角にあるようです。
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[ 歴史 ]

     日範上人が正和二年(1313)に建てたものです。

     本堂は、明治19年 (1886) に、この先300メートルほどにある妙法寺の祖師堂を移築したものとと言われています。

     外側には豊富に彫刻が付き、内側も華やかな装飾が施されています。

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