舎   利   殿



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舎利殿について

     最初の舎利殿は、北条貞時 (1271-1311) により弘安八年 (1285) ( 又は 延慶二年 (1309) ) に建立されたと言われています。 再三火災がありましたが、なかでも永禄六年 (1563) には円覚寺が全焼しました。

     復興に当たって、舎利殿として 鎌倉尼五山の一つであった 大平寺 の 仏殿 を、天正 (元年は1573) のころに移築したとのことです。禅宗様であることは申すまでもありません。
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     正面の下部を見ると 五間ですが、両端は 裳階(もこし)と呼ばれる部分が付加されたもので、主屋(おもや)は三間です。周辺部分の裳階は屋根が付きますので二重仏堂 三間堂ということになります。

shariden      弓欄間 (ゆみらんま) が上部を一周します。弓欄間は火焔欄間(かえんらんま)とも言わますが、この欄間を通して入る日の光が独特の雰囲気をかもし出す様が容易に想像されます。 弓欄間の中央には、宝珠形の飾りが付きます。


     軸部は柱を石の礎盤(そばん)にたて、下から地覆・腰貫(壁・窓部分のみ)・飛貫・頭貫・台輪をわたします。柱の上下の端は丸く削られ、(ちまき)柱と呼ばれるものです。(写真 下左)

     斗栱は出三斗(でみつど)と呼ばれるもので、三つの斗(ます)を載せた肘木が十文字に交差したものです。

     軒は二軒本繁垂木 (ふたのき ほんしげたるき)、すなわち上下(地垂木(じだるき)と飛檐垂木(ひえんだるき))二段で密度のあるまっすぐに並べられた垂木です。(以上、写真 下右)

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     主屋は、二重尾垂木付三手先斗栱(三段に前に出ているもの)、中備として中央間二組、その他に各一組を配する詰組で、ここにも禅宗様の典型的な姿が見られます。
主屋の軒は二軒扇垂木(垂木が扇のように広がるもの)です。
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shariden      入母屋屋根の妻飾は虹梁大瓶束で、妻飾りには三つ花懸魚 (みつばなげぎょ) と呼ばれる懸魚が付き、その奥には虹梁が横たわり、その上に大瓶束(たいへいづか)が載っています。

shariden      内部は土間で、裳腰と主屋を海老虹梁 (えびこうりょう) で繋ぎます。

shariden      低い裳階に対し、主屋は高く、来迎柱から主屋前面中央柱に 虹梁 (こうりょう) を架け、上に大瓶束 (たいへいづか) を中間やや前方にのせて、さらにその上方に頭貫台輪(だいわ)がくるという構造になっています。

来迎柱 (らいごうばしら)の前に 禅宗様 仏壇 (須弥壇) を置き、厨子 (づし) とその両脇に 聖観音・地蔵立像を 安置しています。

     厨子 (ここでは描かれていませんが)は江戸時代に、英勝寺(鎌倉市扇が谷、現在は市内唯一の尼寺)から贈られたものだそうです。

     内部から天井を眺めて美しいのは四隅を繋ぐ尾垂木尻部分や垂木の繊細な組み合わせでしょう。(神奈川県立歴史博物館に実物大模型があり、細部を見ることができます。)

     上からと下から眺めた図をご紹介して終わりとします。
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     以上の概観と内部の構成は中世禅宗様方三間裳階付仏殿の典型であって、旧太平寺の格式の高さを反映し、精緻な意匠は室町前期の禅宗様意匠の一端を示すとともに、こじんまりした谷戸の旧境内とも対応する、と『目録』に述べられています。