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[寺 号] 瑞鹿山 円覚寺 臨済宗


[ 所在地 ]


 円覚寺はJR横須賀線の北鎌倉駅、鎌倉方面の下りホームの出口をでるとすぐ目の前です。しかし、正式な参拝の順路は、横須賀線が境内のうちを走ってるので、駅のメインの出口(県道側)から正面の県道に出て、県道に沿って左に進み正面の参道から入るものです。


[ 円覚寺の古建築 ]


 惣門、山門、仏殿、舎利殿、唐門、仏日庵、選仏場、四脚門を地図から見る場合は、下の図の該当する「白抜き文字」をクリックしてください。新たなページとして開きます。


| 山門 |  仏殿 |  舎利殿 |  唐門 (方丈前と舎利殿前)  |
|  仏日庵 |  選仏場 |  惣門 と その他の四脚門
舎利殿 惣門 山門 仏殿 選仏場 唐門方丈前 仏日庵 鐘楼  唐門舎利殿前 四脚門 四脚門 四脚門 四脚門 四脚門 四脚門

[ 境内案内 ]


 県道から円覚寺に入る参道の両脇には、白鷺池 (びゃくろち) と呼ばれる池があり、降魔橋 (ごうまばし) と呼ばれる橋を渡り、線路を越えて惣門への階段を登ります。

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 瑞鹿山という額の懸かった惣門をくぐると左手に受付があり、その前方には堂々とした山門が木々の間から見えてきます。

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 山門二重門(初層、上層ともに屋根がついたもの)です。「円覚興聖禅寺」の額が掲げられています。

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 山門のうしろには大木の柏槙が両側に並び、その先に仏殿があります。

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 仏殿はコンクリート製で、昭和39年 (1964) に完成したものですが、元亀四年 (1573) の図面をもとにしたもので、禅宗様で昔の様子をよく伝えています。


 仏殿の左には、選仏場と呼ばれ、経蔵を兼ねた僧堂で、座禅道場です。「選仏」とは、座禅の修行により仏祖を選び出すということのようです。
 選仏堂の先は居士林で、一般かたが参禅できる座禅道場です。

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 仏殿を右に見ながら奥へ、さらに仏殿の裏手を右に折れて進むと、ずっしりとした唐門、その先に方丈があります。 方丈の裏手には庭園 (心字池) があります。

 回春院は最近大覚池を中心に境内の整備が行われてきました。

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 もとの道に戻ると、すぐ左手には、妙香池とよばれる池があり、池の向こう側には、虎頭岩という大きな岩が突き出ています。

 池の先を左に入ると塔頭のひとつ正続院や国宝の舎利殿などがありますが、普段は非公開です。

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 池の前の道を奥に進むと、すぐ左手は仏日庵です。円覚寺開山の北条時宗廟所でしたが、その後北条家本家廟所になりました。

 お茶をいただきながらゆっくりと休憩できます。

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 突き当りは黄梅院です。夢想疎石(1275-1351)の塔所で、疎石の弟子の方外宏遠が、華厳塔のあった場所に建立したものとのことです。境内の奥には武山堂と呼ばれる観音堂があり、観音像が祀られていますが、中国から贈られたものとのことです。

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 仏殿までもどって、仏殿に向かって右手の山上へ、急な石段を登った先には、鐘楼梵鐘(国宝)、弁天堂があります。ここからの東慶寺方面の眺めも人気のある所です。南側の別の坂を上ると塔頭の帰源院があります。


 夏目漱石の『』でおなじみの帰源院には、漱石の「仏性は白き桔梗にこそあらめ」の句碑があります。

 ”仏としての本性は一切衆生が持っているとされる。花にももちろん備わっているが、中でも真っ白な桔梗が露を浴びて凛と咲いているさまを目にすると、特にそれが感じられる。私もできることならこの花のようにありたいものだ。” (ある方の解釈です。)

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 境内には多くの塔頭がありますが、拝観できませんので省略します。


[ 歴史 ]


 創建(開基)は第八代執権北条時宗 (1251-84)、開山は無学祖元(仏光国師) (1226-86)で、弘安五年(1282)の建立です。


 建長寺との関係も深く、対比されることも多いのです。円覚寺の建立のおよそ30年ほど前の建長五年(1253)に建てられた建長寺は第五代執権北条時頼 (1227-63) が開基で、

蘭渓道隆

(大覚禅師)(1213-78) が開山です。


 時宗は建治三年(1277)に、建長寺に住持していた蘭渓道隆を迎えて新たに寺を建てようと準備しますが、その間に道隆は亡くなってしまいます。

 そこで改めて中国(当時は元)に僧をもとめ、迎えられたのが無学祖元です。弘安二年(1279)に鎌倉にきて建長寺の住職になり、そして弘安五年(1282)に円覚寺の開山になりました。


  鎌倉幕府滅亡直後に描かれたとみられる「円覚寺境内図」では、惣門、山門、仏殿、法堂などが一直線に並び、その脇に東司、浴室、僧堂、庫裏などが付き、中国の禅宗寺院を倣ったものとみられます。(中国の禅寺の場合は、さらに横に建物が広がって展開します。)


 鎌倉幕府が倒れたあとも住職であった夢想疎石 (1275-1351) のもと、朝廷の信頼と足利氏の庇護もあり栄えました。


 しかし、室町時代の中期以降は火災などが度重なり、江戸時代に入っても停滞が続きます。しかるに十八世紀終わり頃には現在みるような山門が復興され、再出発の基礎固めが行われました。


 明治になると、今北洪川老師 (洪川宗温) (1816-92) により禅道場として復興、釈宗演老師 (洪嶽宗演) (1860-1919) の努力で禅が国際的に認められることになります。そして現在に至ります。


 日曜説教座禅会、暁天座禅会、学生座禅会、土曜座禅会、夏期講座座禅研修会など一般への座禅の普及・教育活動がおこなわれ、また、11月はじめの風入れには、貴重な寺宝が公開され多くのかたが訪れます。


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