法華堂


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法華堂について

     15世紀末か16世紀中期と想定されています。年代としては、延徳二年 (1490) と、天文二年 (1533) が挙げられています。

     延徳二年は、法華堂にかかる額の裏にこの年があることから、天文二年は、法華堂に掛けられている鰐口にその銘があることや資料もことからとのことですが、部材の様式や資料から後者のころと見ているようです。

     建立主は、小田原の後北条氏の家臣の遠山因幡守宗為が有力視されています。伝承と夫妻の像が伝わっているからです。

     桁行き五間 (約12.4 メートル)、梁間六間 (約12.5 メートル) の寄棟造りの堂です。

     和様を基本としながら、組物、扉などは禅宗様を取り入れています。

     側廻りに、粽付の丸柱をたて、縁長押、飛貫、頭貫、台輪をめぐらし、詰組みは三斗です。

     中央三間と、両側は手前の二間を桟唐度両開き、そのほかを舞良戸引違えです。

     中央にかかる額「法華堂」には、「延徳二年」と「名越松葉谷石井山」とあるそうです。

     昭和44年に県の指定文化財となり、解体修理が行われました。そのときの調査で、元禄六年 (1693) に大幅に改修されたことがわかりましたが、調査を基にかなり復元されました。

     県内では数の少ない室町時代末期の大型の仏堂として貴重なものとされています。