薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める 「矢食い (やぐい) 」 からきたと言われています。 また、かつて医者の門として使われたことからとも言われています。

     薬医門の構造の基本は、前方(屋敷の外側)に2本、後ろ(内側)に2本の4本の柱で屋根を支えます。 屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間(等距離)に位置せず、 やや前方にくることです。

     したがって前方の2本の柱が本柱として後方のものよりやや太く、加重を多く支える構造になります。



     山門は、明治二十九年の建立で比較的あたらしいものです。しかし堂々とした作りで、彫り物が江戸末期以来の系統ということで、この形式のものとして外すことができないことから採用しました。


山        門


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山門について

     桁行きー間 (約 2.7 メートル) 、梁間各ー間(1.7メートル)で、薬医門とよばれる形式です。

     外側にある本柱の上に冠木を載せ、その上に直角、すなわち梁の方向に男梁を3本桁架けます。 2本は本柱の上で、3本目は中央です。表側の前端を大きく持ち出しています。    (小さい写真の左から2、3番目)

     後端も、後ろ側の控柱の桁からも出桁としています。   (小さい写真の左から4番目)

     両方の妻の中間の男梁上に束を立て棟木を受けます。   (小さい写真の右から2番目)

     本柱上の男梁の上には、束が立ちその両側に笈形がは挟むように配されています。    (小さい写真の一番右)

     軒はー軒疎垂木です。(小さい写真左から1,2番目)